紫陽花の季節がはじまりました〔4058〕2014/05/26
2014年5月26日(月)小雨
今朝は朝から降ったりやんだり。昨年の今頃のにっこりを見てみますれば、昨年の梅雨入りは5月27日。今日が5月26日ですき、ボチボチですね〜。梅雨は、大自然が人間にもたらしてくれる恵みにとって必要不可欠なもの。水を得た植物が活力をもって育ち、それを食べる動物が元気になる。太陽と水は、神様が授けてくれる生命の源。なので、うっとうしいなどと言うておる場合ではありません。
とは言え、適度な量がエイです。多すぎるがも困るし、降らんがもこじゃんと困る。これは、もう、文字通り天に任せるしかない大自然の摂理。
大自然の摂理なんでありますが、古来、人類は、なんとかそれをコントロールできんかと考えてきました。科学的アプローチ以前では、やはり雨乞いや豊作の祈り。特別な能力を持った者が祈ることで、神に願いを聞き届けてもらおうと考えたのは、古今東西、地球上すべての地域で人類が言葉を持って以降、ずうっとのこと。大自然と神は同じであり、大自然のご機嫌を損ねないよう、大自然が大いなる恵みをもたらしてくれるよう、祈り続けてきた人類。そんなことを考えるようになった瞬間が、人間が猿ではなくなった瞬間なのではないかと思うたりします。
そんな意味では、ネアンデルタール人などの旧人と言われる人々も、まぎれもなく「人間」であったのでしょう。宗教的痕跡が残されちゅう以上。
この日本列島の人が住み始めたのはいつの頃のことでしょうか。2万年前くらいには、ここ、土佐の大地にも人が住むようになったでしょうか。以前ご紹介した「奥谷南遺跡」界隈には、旧石器人が暮らしておりましたが、どんな生活をしておったのでしょうか。
長い縄文時代、岩陰や洞窟などに人が住んだ痕跡が残る四国山中。もちろん海辺でも暮らしたでしょうが、山の中の洞窟などの方が、遺物が残りやすいので、縄文遺跡は山に多いのでありましょうか。
弥生時代になり、弊社の南側の物部川河口部、自然堤防の上には、広大な集落が形成されました。そこを母村として、各所に、集落が広がっていった時代。ここ、野市方面にも、集落ができるようになり、古墳時代を迎えます。そして物部氏がやってきた時代。
そんな悠久の時の流れの中、梅雨は、毎年毎年正確に間違いなく訪れ、緑の植物を潤し、それを食べる動物を育んできたことを考えると、ちょっと不思議な感じがします。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮さん。参道脇に、美しい紫陽花が咲き始めました。梅雨入りと紫陽花の組み合わせ。日本では、太古の昔から、梅雨と紫陽花は深い縁で結ばれてきちょります。紫陽花の原産地は日本ですき。
元々の原種は萼紫陽花。ガクアジサイ。で、様々に品種改良が行われ、今はその種類たるやすさまじい。こないだ、牧野植物園に行っちょりましたが、ホントに色とりどり、形状もそれぞれの、面白い紫陽花が並んでおりました。そろそろ見頃。
日本は、こういった植物を観賞用に育て、販売し、飾るという文化が非常に強く深く根付いている国。世界でも類例のないくらい。植木屋さんという職業は、江戸時代、こじゃんと重要な、人気の職業であったのはご承知の通りですきんね。
これからの季節、高知県内でも、あちこちで紫陽花の群生が見られるようになります。春野のあじさい街道が有名ですが、ここ野市では父養寺。四万十市では、安並の水車の水路脇。
以前にも書きましたが、全部、野中兼山さんが開削した水路脇。野中兼山さんと紫陽花は、非常に相性が良いのでありますね。
野中兼山さん関連以外で感動したのは、やはり春野の六條八幡宮さんでしょうか。
県下、たくさんの紫陽花名所が、これから賑やかになってきます。