七人みさき、九段会館、日比谷入江、GHQ〔4055〕2014/05/23
2014年5月23日(金)薄曇り
そんな訳で今朝は東京。昨日のお昼から竹橋のKKRホテルに缶詰になり、業界の寄合をやりよりました。17:00からやっと懇親会で、18:00過ぎにそれを抜け出して池袋へ。
実は、こないだご紹介したように、以前高知で「誰ガタメノ剣」という演劇の公演をやった「シアターキューブリック」が、同じ長宗我部元親さんの「その後」を題材にした「七人みさき」という演劇の公演をやりゆうきです。池袋の「あうるすぽっと」という劇場で、5月21日から25日まで。ご興味がございましたら、ぜひ、お出かけください!
リープルも売りよりますよ〜。
さて。で、劇団関係者の方にもご挨拶してホテルへモンて来たのが23時くらいでしょうか。飯田橋。そして寝て、今朝5:00に起き出して走ってきました。最終目的地はもちろん築地。
飯田橋ですき、九段下から竹橋へ。そして皇居を左廻り。
九段下。ああ、九段下。
九段下には、九段会館という古い建物があります。靖国神社が近い、ということもあり、全国の戦没者遺族会などの定宿。小生、九段会館で布団敷きのアルバイトをやったことがあります。学生時代のこと。
西武新宿線の下落合という駅のネキに、学徒援護会という建物がありました。元々は、軍需施設などに動員される学生を経済的に支援するためにつくられた組織にかありませんが、我々の学生時代は、貧乏学生にアルバイトを斡旋する場所になっちょりました。引っ越しの手伝いとか、かなり力仕事が多かった、学徒援護会。
で、その数あるアルバイトの中に、九段会館の布団敷き、というのがあったがです。これは、もう、いっつもありました。それも短時間バイト。確か、3時間で2000円、てな感じではなかったでしょうか。
その日のご飯代が無いようなとき、便利でした。小生、何度かお世話になりました。九段会館のあの建物を見ると、あそこでひたすら布団を敷きまくった日々を思い出してしまうのであります。
今はもう、下落合の学徒援護会もなくなりました。九段会館の布団は、今は誰が敷きゆうのでありましょうか。
ここは、皇居のお堀。日比谷公園のしゅっと北側。お堀の水面と道路の高さが非常に近い場所。お堀の中では、ここが一番土地が低いと思われます。
その理由。それは、徳川家康が江戸城を構築し、江戸の都市計画を始めるまで、ここは海であったから。太田道灌の頃、ここは日比谷入江という海が入り込み、この東の東京駅から有楽町にかけては「江戸前島」という半島状の洲であったそうです。そこにあったのは、松林、社寺、集落。
家康は、日比谷入江を埋め立て、東に広がる汐入の茅原も埋め立て、運河を開き、江戸という都市をつくっていった訳です。空前絶後の土木プランナーであったと思われる徳川家康。
江戸城(皇居)は、武蔵野台地の東端。先っぽ。なので、西側が台地の上、東側が台地の下、ということになり、かなりの高低差があります。九段坂や三宅坂の急坂が、その高低差を示しちょります。で、南東の一番低い部分がここ。日比谷。
右手に第一生命さんのビル。デザインは、古い昔のものを踏襲しちょりますが、バブルの頃、再開発によって外壁やら内装やらがすっかり変わってしまい、往事の面影は保存されたマッカーサーの部屋くらいにかありません。そう。戦後、GHKが置かれた、昭和史にとって重要な建物。
戦前、ここにこのような高い建物を建てるには、かなりの技術を要したにかありません。何せ、海を埋め立てた場所ですき。地盤はユルユル。かなりボーリングして、古く固い地盤を探し当て、そこに基礎を打ち込んで建てられたとされます。
この風景には、入江であった時代や、GHQの時代など、たくさんの歴史が詰め込まれちょります。