朴好仁と唐人豆腐〔405〕2004/05/25
2004年5月25日(火)今日もまたまたド快晴!
今日も素晴らしい青空が広がる気持ちの良い朝になりました。今の季節、とても過ごしやすい爽やかな気候が続きますね。
今朝は、昨日土佐電鉄の路面電車を撮影した潮江橋の上から西の方角を写してみました。前方の赤い橋が「天神大橋」、左の山が「筆山(ひつざん)」ですね。汽水域で、河口に近いもんですから、ご覧のようにボートが係留してあったりします。
この右手の川沿いの町は「唐人町」。このにっこりでも何度かお話しましたが、文禄元年、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従った長宗我部元親が、朝鮮慶尚道秋月城主「朴好仁」ら30名を連れて帰ってきたことに由来する町名です。今回は少し詳しくお話しましょう。
朴好仁一行は、土佐に様々な文化を伝えました。そのなかに豆腐作りの技術があります。関ヶ原の後土佐は山内氏の統治する国となり、好仁は朝鮮へ帰りましたが、その息子朴好赫が土佐に残ってこの川縁に居住しました。そして、この川沿いの大堤防の上で豆腐商いをする特権を山内氏によって認められ、藩政期、明治、大正の長い期間つづきました。昭和の初め頃までは、この界隈には豆乳の匂いが溢れ、「唐人豆腐」が名物になっちょったそうです。