奥宮さんと飛行機雲〔4032〕2014/04/30
2014年4月30日(水)晴れ!
昨日の雨から一転、風薫る爽やかな朝になりました。雨で濡れた地上がお日様に照らされ、立ち上がる水蒸気で、風景すべてに白いベールがかけられちゅう朝。ここは鏡川。
潮江橋北詰から西の方角を撮影しました。向こうに見えるは天神大橋。筆山が鏡川に映ってまさしく筆の先っぽのように見えます。
あの筆山には、たくさんのお墓。それも、藩政期から通じての夥しい土葬墓が、それこそ足の踏み場もないくらいたくさん存在します。お墓や埋葬、供養のあり方について、こないだうちから高知新聞で特集記事が掲載されよりますが、藩政期の武家社会の墓制は、この筆山山中をたつくってみましたらかなり理解できます。その記事でも書いちょったように、火葬が一般的になったのは実に最近のこと。なので、筆山のお墓はほとんどが土葬墓、という訳です。そう考えると、むやみに墓所をたつくりまわられませんね。それこそ土足で踏んづけてしまいますき。時折、指がヘチ向くほどのバチが当たったりします。
その筆山に、宝永南海地震の克明な被害記録「谷陵記」を書いた能吏にして学者、奥宮正明さんのお墓がある、という話を昨日書きました。奥宮正明さんは、谷秦山さんなどの土佐南学の系譜を受け継ぐ人物。
ところで土佐で奥宮さんと言いますと、やはり思い出すのは幕末の奥宮慥斎さん。おくのみやぞうさいさん。本名は奥宮正由さん。陽明学を岡本寧甫に学び、勤王の志士の思想的バックボーンとなったのは有名な話。中江兆民さんなどは、弟子になります。
その長男が奥宮健之さん。おくのみやけんしさん。山内家の海南私塾講師などを歴任した後、自由民権運動に邁進。弾圧、服役を経験した後、幸徳秋水さんに接近。そして、大逆事件。幸徳秋水と官憲の間を和解させようとしていた、との説もありますが、結局、死刑となりました。大逆事件の犠牲者の一人。
その奥宮父子が、奥宮正明さんの係累になるのかどうなのか、小生は知りません。
もう一人、高知出身の奥宮さんに、こないだ気付きました。
ジブリの映画「風立ちぬ」でのモデルとなったのは、ゼロ戦開発者の堀越二郎さん。その堀越二郎さんが、『零戦 - 日本海軍航空小史』という本を、奥宮正武さんという人物と共著で書いちょりました。ゼロ戦と日本の戦略、ゼロ戦の栄光と挫折について、当事者の目で書かれた興味深い本。堀越二郎さんとの共著者に奥宮正武という名前を見つけたとき、これは土佐の奥宮一族ではないか、と直感した訳です。
そう。宝永時代の奥宮正明さんも、奥宮慥斎正由さんも、そしてこの奥宮正武さんも、みんな、「正」という文字が名前につけられちゅう。ので、そう考えた訳です。
係累として繋がっちゅうのかどうなのかは、調べちょらんので存じ上げませんが。
その奥宮正武さんは、海軍軍人として、主に航空畑で活躍し、各所の重要航空分隊の分隊長などを歴任して航空参謀に。海軍軍令部第一部第一課に異動し、海軍中佐で終戦。その後、航空自衛隊などで空将まで累進した人物ながですね。で、ゼロ戦と海軍航空の歴史について、かの堀越二郎さんと一緒に本を書くくらい、専門知識や当時の事情に通じちょったという訳です。
雨上がりの空。奥宮正明さんが300年眠る筆山の上の飛行機雲が印象的な、朝。