昭和は遠くなりにけり〔4031〕2014/04/29
2014年4月29日(火)雨
今日は昭和の日やそうです。我々には天皇誕生日として刻み込まれちゅう、4月29日。昭和天皇がこの日に生まれてくれたおかげで、ゴールデンウィークが深みを増すことになりました。
さて。RKCラジオでですね、月曜から木曜までの日中、「今日も元気に ぱわらじっ!!」というワイド番組をやりよります。この4月からの新番組。で、本日4月29日は「昭和の日」特別企画で、「高知の痕跡を訪ねよう」というのをやるそうです。
そう。もちろん、特別ゲストは高知痕跡学会会長(笑)の小生。会員は小生だけの、昨年FB上で設立された高知痕跡学会は、高知の、「へ〜。知らんかった〜!」てな感じの痕跡をFB上でご紹介、研究してきた研究会。会員は小生だけですが。
でですね、昨年、RKC高知放送のテレビでも一度取り上げたられたことがあります。そして今回はラジオ。生ですきんね〜。しかも、痕跡をラジオでご紹介するという、なかなか無謀な試み。果たしてうまくいくのかどうか、不安は膨らみます。
13:45くらいからスタジオで、14:05からと14;45くらいからは、市内某痕跡から、そして15:10くらいからは再びスタジオから、という放送になりますき、ヒマでヒマでしょうがない、という方は、ラジオをつけてみてください。RKCです。
さて。
そんな昭和の日ということで、身近な昭和をたつくってみろうか、と思いましたが、いざとなると、ホントに昭和が少のうなってきたことに驚かされます。いや、ホント。昭和、かなり遠くなりゆうので、残すべきは残していかんと悔いが残ることになりますね、こりゃ。
取り敢えず雨の中、鏡川沿いを遡上。雨で増水し、沈下橋の痕跡は見えませんでした。ので、新月橋から石立八幡宮さんをお参りしちょいて引き返し、筆山へ。
雨がふりしきる筆山の車道を駆け上り、大きなヘアピンカーブを曲がったところで撮影したのがこの写真。
実は、メッソ知られちゃあしませんが、この左下に奥宮正明さんのお墓があるのであります。こんな、いつも通る道端に。
奥宮正明さんと言えば、宝永南海地震の後、その記録を克明に記した「谷陵記」を書いたことでも有名な能吏。1707年の宝永南海地震の被害を、奥宮正明さんのおかげで、現代の我々もかなり詳しく知る事ができます。
そしてこの右上。あそこに見える建物。高知市が運営づる筆山文化会館。ですが、あそこは昔、筆山ユースホステルでした。おう!昭和だ。
昭和の頃、全国各地にたくさんありました。ユースホステル。
ここで言うユースホステルは、世界に広がるグローバルスタイルのユースホステルではなく、日本にかつてたくさんあった、若者の交流の場としてのユースホステル。
学生の頃、北海道各地へ乳業と酪農の研修に行ってうろうろした際、何ヶ所か泊まりました、ユースホステル。
安う泊まれるのですが、「ミーティング」なるものがあって、宿泊客同士で交流を深めるようになっちょりました。懐かしい。
今は、あまり見かけんなった、あのタイプのユースホステル。現在は、色々と運営形態を工夫し、それぞれ特徴のある運営がなされゆうユースホステル。
この、元筆山ユースホステルに泊まったことはありません。地元ですき当然ですが。が、ここも、たぶん、昭和のユースホステルやったと思われます。建物には昭和感満載。今に残る数少ない昭和かも知れません。
そんなことを思いながら、筆山から高見山、土佐塾高校の山へとたつくりました。雨がシッカリと降るので、山道には滝のような水が流れ、誰もいない雨の森を走る心地良さ。雨の山をヒットリで走るのは大好きです。
雨の鏡川と雨の筆山を堪能した昭和の日。