立田の天満宮、高視さんの不運〔3947〕2014/02/04
2014年2月4日(火)快晴!
快晴の朝。ですが、寒うはありません。まだ、暖かい高知。しかし、北の方から寒気が降りてきゆうとのことで、これから冷ようなるにかありません。まだ2月の始めですきんね。
2月の始め、ということで、FBやらなにやらでは、梅の便りが聞かれるようになりました。そう。梅の季節。
梅と言えば菅原道真公で、天満宮。
日本全国に天満宮はありますが、高知には、菅原家にゆかりの深い天満宮が鎮座しちゅうがはご存知ですよね。
もちろん一つは潮江天満宮さん。道真公太宰府左遷の際に、同時に土佐権守に左遷された道真公の嫡男、菅原高視さんゆかりの天満宮。太宰府で無念のうちに薨去した道真公の遺品を、忠臣松本白太夫さんが土佐へ持ってきました。高視さんがそれをお祀りしたのが、潮江天満宮の由緒とされます。
そしてここ。南国市立田。土佐くろしお鉄道立田駅のしゅっと東に鎮座まします天満宮さん。社殿脇に、昭和13年に建てられた碑がありますので、その碑文を転載してみます。
以下転載。
延喜の昔 菅原高視朝臣の乳母某 菅公遺愛の八重の白梅一株を奉持し 土佐権守で當國潮江の里にお座せる高視朝臣の許へ下向の途中 當地で病没せられた 此処が其の御墓所だと伝えられている
以上転載。
そう。その乳母の墓所であった場所が、いつしか天満宮となって、地元で大切に尊崇されてきた訳です。上記、潮江天満宮の由緒になった菅公遺品を持ってきた白太夫さんも、潮江到着直前の大津で病死、高視さんに会うことはできませんでしたが、この高視さんの乳母も、ここまでやって来て病死、高視さんに会えませんでした。
こっから南へ行った場所に、昭和13年、地元出身の文学者、北村澤吉さんが「日章園」を設立しました。地域から多くの君子を育成する、という目的の私学校「日章園」。その名称が、後の日章村の由来になり、日章飛行場の名前の由来になり、日章小学校の名前にもつながる、その「日章園」。その跡地に、郷賢祠が立ちます。地域の賢人、偉人をお祀りする碑。
その碑には、立田甚左衛門さんなど、地域の偉人の名前がたくさん刻まれちょりますが、一番最初に刻まれちゅう名前は「菅公乳母」。そう。この天満宮の場所に葬られた菅原高視さんの乳母が、一番最初に刻まれちゅう郷賢祠。
この、目立たない天満宮さんに、そんな由緒があり、地域の皆さんに大切にされてきたことは、地域外のヒトにはメッソ知られちゃあしません。
その天満宮さんの梅の木に、赤い花が咲き始めました。白梅ではありませんが、天満宮と言えば、やはり、梅。