熱い!〔3917〕2014/01/05
2014年1月5日(日)良いお天気
今日もよいお天気の日曜日。
今朝は、久々に伊野の蘇鶴温泉まで走りに行ってきました。お正月温泉RUN。心地ようございました。
まず、自宅を出発して鏡川北岸をひたすら遡上。お天気も良いので、箱根の選手を思い浮かべながらズンズン走ります。そして朝倉、米田橋を渡って右岸へ。右岸をズンズン遡上すると宗安寺橋。
今朝は、そこを左折、変電所のところから急坂を駆け上り、峠を越えて下ると八代。いの町に入ります。宇治川沿いから電車通りを西進して、伊野駅前から北へ、トンネルを抜け、どんどん行くと、大黒様。そう。椙本神社さん。
お正月の大黒さんは、朝から、初詣のお客さんで賑わいよりました。心地よく参拝。
そして、仁淀川の鉄橋を渡って波川へ。JR波川駅の真南。以前、何度かお参りしてご紹介したことのある月田上神社さんが、山に抱かれて鎮座まします。参道のど真ん中を高規格道路の土盛りが遮って、見通しが悪うなっちょります。まだ、完成してないので車は通らず、静かな風情ではあります。
月田上神社さん。
天地創造の神様である天御中主神さんをお祀りしちゅう神社。古事記で、一番最初に現れる神様ですね。地元の尊崇厚いと思われる月田上神社。山中の境内は木々に囲まれて静か。昔、拝殿の前で眠りこけたことがあります。厳粛にして静かな境内は、小生の大好きな空間。
その拝殿の横の山道を上がると、「玄蕃城」への小さな案内板が建てられちょります。昔からありますが、一度、玄蕃城へも行ってみたかったので、18km走って来た後ではありますが、駆け上ってみることにしました。これがちょっとだけ誤算。
しゅっと行けるかと思うちょりました。
しかし、行けども行けども玄蕃城の山の気配はない。それでもずんずん登ります。標高は171.5mですき、そんなに遠いはずはない。しかし尾根筋を道はつづく。
玄蕃城。波川城とも言います。戦国期、長宗我部元親の妹の婿。元親に重要されるも、謀反の疑いをかけられて攻め滅ぼされてしまいました。悲劇の武将。妻である元親の妹は、その後、出家して養甫尼と称し、伊野の成山に住んで、土佐七色紙の開発に重要な役割を果たしたがはご承知の通り。
玄蕃というと、三波春夫先生の長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」を思い浮かべるでしょうが、土佐で玄蕃と言えば波川玄蕃。
その子孫の方も、高知で、現在活躍していらっしゃいます。
さて。
で、もう標高170mくらいまでは登ったろう、と思いながらふと北を見ると、向こうに玄蕃城の山が見えるではありませんか。頂上が同じくらいの標高で。
そうか。この山道は、ぐるっと尾根筋をまわって縦走しながら玄蕃城へ向かうルートやったのか。しかもですね、最近誰も通ったことがないようで、すさまじく鬱蒼。
大きな、胸の高さまであるシダ類や薮がはびこって、なかなか進むに進めない。足下はまったく見えんので、雪道をラッセルするように薮を漕ぎながら進むも、なかなかはかどらない。玄蕃城はまだとっと向こう。
と、言う訳で、今回は時間切れ、断念。大人の分別で、また、次の機会に期待することにして、引き返しました。
そして、最終目的地の蘇鶴温泉へ。
お昼12時からの営業開始で、小生が一番乗り。誰も浴室に居らんので、湯船につかっちゅうところをセルフタイマーで写真を撮ろう。と、セットしてから湯船に入ってたまげました。熱い!
いや、熱いなどというものではない。オウム真理教もビックリ。慌てて湯船から飛び出しゆうのがこの写真なのであります。ですきに、実はこれは本邦初公開の全裸。いやいや、驚きました。
太ももまで真っ赤になってしまいました。
で、水を出してうまえ、適温にしてから、ゆっくりとつかってきた蘇鶴温泉。熱湯でなければ、こじゃんといい湯の蘇鶴温泉です。