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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

開戦の日に、終戦の日の事件を思う〔3889〕2013/12/08

開戦の日に、終戦の日の事件を思う

2013年12月8日(日)快晴!

今朝は、太平洋戦争の開戦のことや戦争について色々と考えながら、南嶺RUNをしてきました。
夜明け前、家を出て潮江天満宮さんへ。お参りを済ませ、筆山の車道を駆け上がります。筆山文化会館、昔、筆山ユースホステルやった建物のちょっと上に、天王墓地という墓地があります。道からちょっと上がったところ。

その天王墓地から、山越えの山道の途中から北へ入ったところにある、というお墓を探しに行きました。陸軍中将、森赳さんの墓所。
どうやら、その辺にある、ということはわかっちゅうがですが、実際にはどこにあるのか。
そんな訳で、古い山道をたつくりまわってきました。

天王墓地から鴨越えにかけて。そこには、夥しい、古い古いお墓がありました。藩政期の早い時期からの墓所がずらり。あまりにも時間が経過し過ぎて、割れたり転がったりしちゅう立派な墓石もたくさん。もう、今は誰も参拝することのない、しかし立派な大きな墓石も、本当にたくさんありました。荒れ果てた墓山。
まだ夜明け前に、そんな山をたつくるがもなかなかの雰囲気。
しかし、目的の、森赳さんのお墓は、結局よう探し当てませんでした。途中、道もなくなり、この写真のような雑木林をかき分けながら進むと、今もお参りされゆう整備された墓地に出ました。
たつくりゆううちに、朝日が昇り始め、林に差し込み始めたので、撮影してみました。

森赳さん。
高知県出身の陸軍軍人。禅宗に帰依しちょったので、あだ名は和尚さんであったと言われる人格者。終戦時、近衛第一師団長で、中将でした。
運命の昭和20年8月15日未明。
14日に政府は、ポツダム宣言受諾を決定。天皇陛下は、自ら、終戦の詔勅を国民の前で喋っても良い、ということで、15日正午に放送されることになるあの録音を、皇居内で行いました。
軍部には、終戦受け入れに断固反対する勢力が居り、血気にはやる若手将校が各地で暴発します。中でも、皇居を占領し、陸軍主導によるクーデターを起こして徹底抗戦をしようとたくらんだグループがおりました。畑中健二少佐たち。

そして勃発した宮城事件。まず、皇居を守る近衛師団をクーデターに巻き込みます。陸軍大臣はその気だ、とか、東部軍はクーデターに参加する、とか、あることないこと言いながら、強引に近衛第一師団長に面会して説得しょうとしました。しかし。森中将は、それを拒絶。
思いあまった畑中少佐は、森中将に発砲し、仲間の上原重太郎大尉が伐りつけて殺害。そして、偽の師団長命令をつくったりして、宮城の近衛師団を動かし、当日皇居に居た重臣達を拉致監禁、天皇の終戦の詔勅録音盤を奪取しょうとしたのでありました。

結局、偽の命令ということが発覚し、東部軍が乗り込んで来てことなきを得た、という、いわゆる宮城事件。
ここで、もし、森中将が毅然とした態度をとらなかったら。
戦争は、8月15日には終わらず、もっともっと戦死者を出す結果になっていたかもしれない、そんな事件でした。

キレイ事を言うても、日本軍の歴史は、日中戦争の始めから謀略やだまし討ちの歴史であったことは、誰もが認めると思います。張作霖爆殺や、石原莞爾の柳条湖を、誰が正当化できるでしょうか。そんな風土が、信念のためなら騙したり嘘をついたりしてもかまわない、という兵士を育てちょったがでしょうね。

森赳中将の墓所は、この山で、人知れずたたずみます。一度、キチンと探し出してお線香の一本でもあげたいと思います。


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