吉原、本生寺、住吉神社、津波〔3862〕2013/11/11
2013年11月11日(月)快晴!
今日は11月11日。あの大震災、大津波から2年と8ヶ月になります。過去、南海地震津波の後は、概ね3年後くらいに各所に地震碑が建てられたりして、ようやく落ち着きを取り戻し始めています。今回の大震災ではどうでしょうか。
復興の足音が聴こえ始めたところ、そして、始まらないところ。福島は、過去の震災とは違う、深刻な課題を我々に突きつけております。
ここは香南市吉川町。旧吉川村。物部川河口の東側。明治22年に、古川村と吉原村が合併してできた村。村内には、古いお宮さん、お寺さんが鎮座ましまします。
ここは旧吉原の住吉地区。右手の森が、住吉神社さん。元々、摂津の住吉神社から勧請されてきたお宮さん。明治40年、一旦、旧吉川村役場西隣の西徳善八幡宮さんの場所に遷座されちょったものの、昭和10年、この場所に再び戻って来た、ということ。
左側の大きな建物は本生寺さん。元々、東の古川村、字寺屋敷にあった本生寺さん。宝永4年(1707年)の宝永南海地震による大津波で流され、旧役場の東方に遷座したそうですが、明治末年に、この場所に移ってきた、ということ。
この場所。南国市前浜と同じように、海岸に形成された砂丘上の集落。砂丘の一番高い部分を東西に道が通り、その両脇に街が形成されちょります。やはり、津波の記憶がそうさせるのでしょうか。
その中でもかなり標高が高い場所に、本生寺さんと住吉神社さん。
村内には、曾ては、たくさんの寺社があったと言います。しかし、その記録は、津波に洗い流されて残っておりません。
この砂丘の標高は約10m。一番高い部分でも11mくらいでしょうか。南国市前浜の伊都多神社さんと同じくらい。
本生寺さんと住吉神社さんの間の道を向こうへ行くと、ずうっと下って、旧役場の前の道路へ。大切な寺社は、津波の来ない高台につくられる、という法則を守っております。
しかし、現在の最悪津波高想定では、標高10mではかなり危うい。今までの人間の知恵と経験では、この砂丘上が最善の場所であることは間違いないところですが、そんな人間の力が及ばないのが津波。大自然。
砂丘上に集落を形成し、寺社を置くのは、まったくもって当然の話で、その上に、更に、避難できる施設を構築する、そんな必要があるのは間違いないところです。
宝永南海自身の際、奥宮正明さんが被災状況を記録した谷陵記には、ここ、吉原のことを、ことの外詳しく記載しちょります。
松並木の外側に、砂に埋もれておった古い田んぼの跡が出現したとか、色んなことが書かれております。
過去、記録に残らない、幾多の津波を経験してきたであろう、この砂丘。こんな場所が、高知の海岸線にはたくさんあるがはご承知の通り。
大自然の威力と人間の無力さ。それが、今次の大震災が我々に教えてくれたことではなかったでしょうか。
捩じ伏せるのは無理。
大自然を畏れ、上手に付き合い、逃げる。