電話局前〔3840〕2013/10/20
2013年10月20日(日)曇り
台風の進路が気になります。もう、11月も近いので、いいかげんにしてもらいたいですね、台風は。
その台風の影響でしょうか、雨が降ったり曇ったりの、はっきりせんお天気が続きます。運動会シーズンですき、すっきりくっきりの秋晴れになってもらいたい今日この頃。
ここは電話局前。電話局前というバス停がまだあるがに、今朝、気付きました。電電公社の電報電話局の名残ですな。電電公社が民営化でNTTになったがはいつのことやったでしょうか。調べてみました。昭和60年。1985年。おう、小生が社会人になった頃ではありませんか。今から28年も前になるがですな。もう、そんなになるのか。
と、いうことは、このバス停、電電公社がNTTになっても変わらず28年間、電話局前でありつづけてきた、ということになります。
と、思うたら、違います。今でも、電話局は電話局にかありません。http://denwakyoku.jp/というホームページがあって、「高知県の電話局一覧」となっちょりました。この向こうにあるのは、NTT高知支店ビルですが、やはり電話局ながでしょうか。NTT南局とか東局とか、普通に呼びよりますが、やはり今でも電話局ながでしょうか。
と、思うたら、http://denwakyoku.jp/といういかにもNTTがやりよりげなホームページは、個人の方の運営でした。と、言うことは、正式には電話局のいう名称は今でも使いゆうのか使いやあせんのか、謎は深まっていきます。
それはともかく。このバス停を通過するバスは一日に3便、宇津野行きのバスが通るがですな。どんなルートで行くがか、気になります。
このバス停の南側は、藩政期には広大な五藤家のお屋敷でした。今も、五藤さんの大きな門と屋敷は残ります。お城の界隈で、藩政期の家老のお家が残っちゅうのは五藤さんちだけではないでしょうか。貴重な門が、この道路に面して鎮座ましましちょります。
その向こうの交差点の向こう、右手がNTT高知支店ビル。昔の電報電話局ですな。
その交差点から南へ、電車通りにつながる道。これが、藩政期にハマグリ丁と呼ばれた通りでしょうか。以前、違うことを書いたかも知れません。
元禄11年(1698年)に、高知の城下で大火がありました。その火事の後、本町と帯屋町の間に道が抜けたのであります。それが、その交差点と電車通りの間の道。蛤は、焼くと口を開けます。ので、焼けた後開けた道、ということでハマグリ丁。その通りは、実は、そこのことやったと思われますので、昔、このにこりひまわりで嘘を書いたがを読んだ皆さんは、機嫌良く忘れて頂ければ幸甚です。申し訳ございません。
電報電話局の北側には、高知警察署がありました。数年前まで交番としても残っちょりましたが、今は、中央公園の高知街交番に統合されて、警察の痕跡もなくなりました。ここにあった高知警察署の建物は、なにやらモダンな建物であったことを覚えちょります。
その東側はひろめ屋敷。今のひろめ市場と、その西側の界隈を総称してひろめ屋敷。狭い路地が入り組んだ、素敵な場所でした。