大橋通り、よさこい2日目午前中〔3770〕2013/08/11
2013年8月11日(日)晴れちょります
昨日の夜中、京都から車で高知へモンて来ました。よさこい本番一日目を終えた高知の街の真夜中は、静かに、2日目に備えちょりました。
今日は日曜日のよさこい。ゆっくり、お昼から観客としてよさこいを楽しんできましょうか。それは、やっぱし、高知県人として正しい過ごし方やと思います。一番正しい過ごし方は、踊ることですけんど、それが無理なら観に行って一緒に楽しむがが、正しい。曜日に関係無く、毎年8月10日と11日が本番ですき、今年みたいにそれが土日になることはメッタにないので、せっかくの機会でもございますな。
ここは、今日、2日目午前中の大橋通り。皆が集まってきて、間もなく踊り始める、その直前の高揚感。たまりませんね〜。
ひまわり太郎も、子供の頃、この大橋通り商店街踊り子隊で踊りました。追手前小学校の子供達も、結構大橋通で踊ったもんです。途中、青果の堀田踊り子隊ができて、そっちでも踊りましたね〜。生バンド。今、考えると、よさこいに初めて生バンドが登場し、今のなんでもありスタイルの原型が出来始めちょった時期、よさこいがこの上なく楽しいお祭りに育つ、そのエポックメイキングなチームで踊りよった訳です。いやいや、懐かしい。
その後、高校生になって、地元の企業チームのバンドマンを2年やりました。あれも楽しかった〜。まだ、生バンドとは言え、正調をちょっとアレンジしたようなのが多かった時代。そして、アッと言う間に変化していったよさこい。
県外で大学生活を送り、高知へモンて来た頃には、それこそよさこいは何でもアリになっちょりました。メロディーによさこいのエッセンスが感じられたらそれでよし。ジャンルも踊り方の楽しみ方も、まったくそれぞれで、まさに自由の祭典のようになっていった時代。
ルールが追い付かず、帯筋の地方車が巨大トレーラーになって、どっかで身動き取れんなったりしたのもこの時代。
帯屋町のアーケードは、今からは想像もできませんが、対面通行。そう。踊り子隊が西からも東からもやってきて、あの狭いアーケードで擦れ違いながら通って行きよりました。もう、音はナニがナニやら。
自分のチームの踊り子さんに音が聞こえるように、一生懸命音量を上げるので、アーケードの中がすごい混沌。そんな時代もありました。
友人に誘われて、ファンク系の生バンドを10年以上やりました。もう、やらんなって10年以上経ちますが、今でも、よさこい期間中に街へ行くと、身体がマイマイしてきます。踊ったのは小学生の頃だけで、その後はバンドマンとして関わり、その間、よさこいは、どんどんと何でもアリを膨らませて、比類の無い、高知のよさこいになっていきました。
観光客の数は違うでしょうが、札幌でもどこでもない、高知のよさこいは、たぶん、「お祭り」として別格の楽しさをもつよさこい。
願わくば、これをスッキリしたイベントにしたりすることなく、また、業者や観光客にすり寄ったりすることなく、まずは「自分達が楽しむこと」を忘れずに続けていってもらいたい。よさこいは、始まった60年前、観光客誘致のために行政主導で一生懸命やりよった時代は、普通のお祭り。その後、観光客誘致とかは関係無く、自分達が自由に、勝手に楽しみ始めてから、普通ではなくなり、全国に広がっていき、聖地になっていったという皮肉な歴史があります。
そんなよさこいが、大好きです。