水野吉太郎、安重根、伊藤博文、吉田茂〔3668〕2013/05/01
2013年5月1日(水)快晴!
良いお天気。昨日、松尾富功禄さんの顕彰碑をご紹介しましたので、今朝も、民権運動関連の人物の顕彰碑。公文豪さんの「土佐の自由民権」にも載っちょります。
ここは香南市野市。三宝山の東南麓。消防署の横に立つこの頌徳碑。
正面に「水野吉太郎先生」刻まれちょります。水野吉太郎さんと言えば、あの、安重根さんの国選弁護人をつとめた人物として有名。
元々、この近くの冨家村で生まれ、民権家として活躍しておった別役村長がつくった「自治会」で学んで、自由民権の思想を身につけました。
その後、現法政大学を卒業して弁護士。県内で活動した後、北海道小樽、大連と移りながら開業。そして、35歳のときに、安重根さんの国選弁護人になったという訳です。
ご承知の通り、安重根さんは、伊藤博文暗殺事件をハルピン駅で起こした、朝鮮独立運動家。結局死刑は免れず、水野さん、死刑にも立ち会いました。
色んな記録が残りますが、安重根さんが立派な人物であったのは間違いないところ。その強い信念に打たれた水野弁護士も、親身になって弁護しました。安重根さんも、水野弁護士を信頼しておったようです。
あの時代。日露戦勝の4年後で、日本国民が「一等国」になったと浮かれ、大衆の空気も朝鮮蔑視に流れていた時代。その時代に、冷静に、人物を見て、尊敬すべきは尊敬した水野弁護士は、やはりエラい人でした。
水野さんは、この弁護の後、死刑の弁護人をすることは、終生なかったそうです。
さて。
この顕彰碑の横、消防屯所との間に鉄塔。いわゆる火の見櫓。今、この上で火事の見張りをすることもないでしょうが、てっぺん近くに懐かしいものがぶら下がっちょりました。半鐘ではないですか。
たぶん鉄塔の先っぽにあるのがサイレンで、火事になったらあのサイレンが鳴るがでしょう。何故、半鐘が残されちゅうがかは謎ですが、消防団の気持ちがわかるような気がします。
ところで、この顕彰碑の正面の「水野吉太郎先生」と刻んだ横に小さく揮毫の署名。今、気付きました。これは「素淮書」と見えます。吉田茂さんの揮毫ではないか!
吉田茂さんが、素淮という雅号を使用しよったがはご承知の通り。が、この碑の署名の素淮書を見て、吉田茂さん揮毫を気付いちゅう方も少ないかも知れません。字を崩しちょって、なかなか読めませんき。
伊藤博文暗殺犯の安重根さんを弁護をした水野吉太郎さんの顕彰碑の文字を、吉田茂さんが揮毫しちゅう訳です。人々の思い、気持ち、思想、信念などがわかってきます。