3度目の丸山台上陸作戦〔3664〕2013/04/27
2013年4月27日(土)快晴!
素晴らしく良いお天気。今朝、仕事で中村へ行っちょりましたが、お昼には帰ってきました。そこで、ここ。今日の浦戸湾は、12:55が干潮。しかも、昼間に、これっぱあ潮が引くことはメッタにありません。
こじゃんと貴重な機会ですので、歩いて、湾内の島、丸山台上陸作戦を敢行して参りました。
丸山台に、初めて上陸したのは、2008年のやはりゴールデンウィーク。5月5日。あのときは、感動しましたですね。お天気は悪かったですが、初上陸の感動は、なかなかのものでございました。
2度目は、2010年で、やはりゴールデンウィークの4月29日。あの時はお天気も良く、ゆっくりまったり堪能できました。
そして今日が3度目。
今日は、引いた河口部には、かなりたくさんのシジミ採りの方も、いらっしゃいました。が、丸山台に上陸しょうとしよったのは、やはり小生一人。歩いて渡れることをメッソ知らないのか、知っちょっても、別に上陸してみたいと思わんのか。もったいない。
今日は早めに上陸したので、ゆっくりと、島を味わうことができました。
写真は、樹のコブの上にカメラを置いてセルフタイマー。向こうに、浦戸湾。右手の岸には、昔、板垣退助さんの家がありました。こうやってみると、しゅっとそこ。舟ですと、簡単に渡って来れます。
で、ここは、明治期、自由民権運動の大懇親会とかがビッシリ行われ、大きな温泉施設もつくられて賑わいました。板垣退助さんが岐阜で襲われ、生き残って高知に帰ってきた明治15年、ここで歓迎の大宴会。それを記念して大正13年に立てられた碑が、左手のもの。
右手の碑は、高知新聞が昭和7年に公募して選んだ「浦戸湾十景」の碑。そりゃあ、ここの風景は抜群。他の十景が、堤防ができたりして全然美しゅうないなった今、ここは、往時の景観をそのままに楽しめる貴重な場所でもあります。
ところで、稲荷新地にあって、明治初期には一番に賑わいを見せよった此君亭(しくんてい)。明治16年に、ここに支店の「丸山台温泉場」をつくり、繁盛しました。明治16年ですき、板垣退助岐阜遭難無事帰高大宴会の翌年で、つまり、その大宴会は、此君亭でやった訳ではなかったことになります。
ところが。この丸山台には、色んな歴史の説明板があります。此君亭につきましては、大きな石碑も立てられ、そして説明板。それには、此君亭に、佐賀の乱から逃げて来た江藤新平も旅装を解いたとか、明治15年の板垣大宴会のことも書いちょります。これはちょっといかがなものか。江藤新平さんが旅装を解いて、匿われたのは、稲荷新地の此君亭。この辺の、ちょっとした誤解を招きやすい記述は、郷土歴史家の逆鱗に触れたりするき、気を付けんといかんですよ。いや。小生は別に全然かまいませんですが。
てな訳で、じっくりまったり島で時間を過ごし、また、新田まで歩いてモンて来ました。舟がかなり重要な交通機関であった時代、この島は、高知の人々にとって、馴染みが深い島でした。舟で移動する機会がなくなった今、この島は美しい野鳥の楽園となっちょります。たまに、こうやって徒歩上陸するがもエイもんです。