10年前の医療センター〔3649〕2013/04/12
2013年4月12日(金)晴れ!
昨夜も飲みに出ちょりましたが、冷やかったっすねえ。熱燗が美味しい季節に逆戻り。風邪引かんように気をつけんといけません。
さて。あと5日で、にっこりひまわり10周年。この10年で、無いなったものなどをご紹介してきましたが、今朝は、この10年でできたもの。池の、高知医療センター。
写真は、今朝の医療センター。同じアングルで、10年前の2003年9月4日撮影、にっこりひまわりでご紹介しちょります。建設中の医療センター。
その記事の中にも書きましたが、この医療センターは、高知市民病院と高知県立中央病院が統合してできる、という全国に例を見ないもの。しかも運営をPFI方式にする、ということで、話題になりました。
翌々日の9月6日、医療センターのモデルルームが公開され、その様子をにっこりに書きました。電子カルテを、患者さんと一緒に見ながら説明をしたりするやり方は、結構画期的やったと思います。医療がオープン化され、患者さん本位の治療をやっていこう、という病院の嚆矢ではありました。
その医療センターが開院したのは、2005年3月1日。もう8年前になるのか。それから、実は、色々ありました。まあ、全国初の色んな試みのなかで、うまくいかないことも多々ありましたし、汚職事件みたいになったのもありました。それはともかく、今では、高知の高度医療、救急医療の中心施設として、非常に重要な役割を果たすようになっちょります。
ここ、池地区には、以前、国立病院の療養所がありました。結核病棟が並ぶ療養所。「池の療養所」と呼びよりました。その前は、浦戸海軍航空隊の基地。戦時中、いわゆる予科練の教育隊で、戦争末期につくられ、最後の方は陸戦と特攻訓練に特化した、いわゆる最終決戦に向けた部隊となっちょりました。
そんな訳で、あの界隈には、今でも、壕などの戦争遺跡がたくさん残ります。
池には、戦国期、池城を本拠とする池氏が君臨し、勢力を持っちょりました。が、最終的には長宗我部氏の配下となっていきました。今も城址が残る池城。
もっと時代を遡りましょう。
平安時代。この池地区に、都からやって来たという高貴なご夫人が住まわれちょりました。土佐に赴任して来ちょった、かの、紀貫之さんに、そのご夫人が、都会の習俗そのままに気の利いた贈り物をしてきました。しかも歌付き。
浅茅生の 野辺にしあれば 水もなき 池に摘みつる 若菜なりけり
貫之さん、おおよろこび。こんな田舎に、こんな都会的な女性が居たとは。で、益々、都に帰りたい思いがつのったのは、言うまでもありません。
1000年以上前からの、色んな歴史を経てきた、池。この10年間の変化は、その1000年の中でも、かなり劇的に大きい変化であったかも知れません。