住吉が海のパラダイスであった時代〔3621〕2013/03/15
2013年3月15日(金)晴れ!
高知にモンちょります。今朝の高知は、ちくと冷やかったです。もちろん仙台ほどではないですけんど。夜明け前は、空気も澄んで、美しい星空でした。
さて。
高知では、困った、というのをメッタと言います。「しょう、メッタちや、まっこと」などと使いますよね。絶対使います。で、以前にも書きましたが、それをリズミカルに表現して、「メッタ メリヤス メリケン粉」と言うたりします。しますよね?
これは、高知県人としては当たり前、初級土佐弁。で、中級になると、それに続けて「すんだ 住吉 手結の浜」と言います。言いますよね?
その中級コースに出て来る住吉が、ここ。
手結は「てい」と読みまして、その東が住吉。海辺に小山があり、その上に住吉神社さんが鎮座ましましちゅうので、住吉。
我々より上の世代は、住吉というと、海での遊びを思い出すでしょう。海水浴は手結ですけんど、海でウニを採ったりして遊ぶがは住吉。小学生の頃、遠足とか臨海学校とかで来たこと、ありますよね。
小学校によっては、土電の電車を貸し切りにして、住吉に遠足にきたりもしよったにかありません。それは楽しい。バケツを、ウニやらなにやらの戦利品でいっぱいにして、喜んで帰った日々。
その住吉海岸は、いつの頃からか、こんなになってしまいました。漁港は相変わらずありますが、その東の浜はこのようになり、夏になっても、昔のような賑わいはありません。臨海学校、海浜学校と言えば住吉か、須崎の向こうの安和(あわ)やった時代。海水浴は、高知市内の我々にとって一番身近やったがは種崎。海の家も何軒かあり、賑やかなもんでした。手結まで海水浴にくるのは、かなりのイベントやったです。そして住吉は、海のパラダイス、というイメージでした。
港の改修や護岸工事が進み、あの、住吉が変わってしもうたがでしょうか。それとも、そんな海の遊びが、だんだん廃れていったがでしょうか。
この浜の後ろの山に住吉神社ができたのは、ここに漁業集落ができた後で、かなり新しい時代にかありません。藩政期。もちろん海の安全と豊漁を願う神様。ですきに、この地区が住吉と呼ばれるようになったのもかなり新しいことになります。
この西の手結岬には、海津見(わだつみ)神社も鎮座。海津見神社は、享保年間と言いますき藩政期中期、海がよく見晴らせる手結岬の上に創建されたそうです。もちろん「八大竜王」とも呼ばれ、海の神様として、海辺の民を守ってきました。
さて。
メッタ メリヤス メリケン粉
すんだ 住吉 手結の浜
ときて、その後に「いけ池 十市 前の浜」と続けれたら、あなたも土佐弁上級者。