幕末土佐某重大事件の舞台〔3582〕2013/02/04
2013年2月4日(月)雨のち晴れ
しかしまあ、なんというお天気でしょうか。ヌクい。立春とはいえ。立春とはいえ、まだまだ寒い日が続きます、というのが常套句ながですけんど、今年の立春はそのままヌクい立春。このまんま春になりそうな勢いです。
さて。昨日の冒険は楽しゅうございました。膝は痛かったですけんど、満足度はすごい。土讃線というのは、どうやら、廃線マニアにとっては垂涎の、素晴らしい遺構が残っちゅうところにかありません。埼玉在住の友人がFBでおっしゃっておりましたが、昨日ご紹介したような鉄橋痕跡が、柵もされず、立ち入り禁止にもならず、そのまま渡れるようになって放置されちゅうがが、首都圏では考えられんそうです。なるほど。
まあ、ひまわり太郎は、柵を乗り越えたり立ち入り禁止区間に入り込んだりする勇気もあります。せられません。
で、昨日は、鉄道の痕跡を探検してきた訳ですが、このにっこりひまわりでは、過去、様々な痕跡をご紹介してきました。そこで、今一度、皆さんを痕跡ワールドにイザナうことにしてみましょう。過去ネタの使い回しとも言いますが。
小生が気に入っちゅう痕跡の中でも、特にお気に入りがここ。以前にも、もちろんご紹介しました。覚えちょりますですろうか?
城下町の痕跡にして、土佐の歴史を大転換させた舞台。そう。
吉田東洋首洗いの溝。
こう書いたら、なにやら怪談ばなしの舞台にかありませんが、そうではありません。吉田東洋首洗いの溝。
幕末、山内容堂侯の目に叶い、参政として辣腕をふるい、土佐藩の殖産興業、国論形成にとてつもなく大きな役割を果たした吉田東洋。この人物なかりせば、明治維新の土佐はなかったかも知れない、という重要人物。外国の力を熟知し、尊王攘夷だけではニッポンという国が存立し得ないことを知っちょった、有能な人物。ですき、土佐藩内でも、当然、たくさんの敵が居りました。
大河ドラマ「龍馬伝」で、田中みんさん扮する吉田東洋が「あしは天才ぢゃき。何をしたちかまんがぢゃ!」とオラぶ場面は、こじゃんと印象的でした。吉田東洋の人物を、その一言で、見事に言い表しました。そんな吉田東洋。
結局、文久2年4月8日(1862年5月6日)、土佐勤王党員によって暗殺された、吉田東洋。
その日、お城で、藩主山内豊範くんに、日本外史、本能寺の変の部分を講義、仕事を終えて、帯屋町の自宅へ帰りよりました。そして。
この写真の場所に差しかかったところで、土佐勤王党の那須信吾、大石団蔵、安岡嘉助に襲われ、殺されました。
犯人たちは、ここで東洋の首を刎ね、洗い、風呂敷に包んで逃走。鏡川、雁切橋のところで待ちよった同志に首を預け、そのまま脱藩していったがはご承知の通り。そこで預けられた首は、晒されました。
と、いう訳で、メッソ縁起の良い話でもないですきに、営業妨害になったらイカンので正確な場所は申しませんが、高知の方やったら、この写真を見たら、なんとなくわかるでしょう。
このグレーチング。これが、どうやら、吉田東洋の首を洗ったという水路の痕跡。その水路は今、暗渠になり、一部がこのようにグレーチングになっちゅうという訳です。臨場感ありますね〜。
ところで、こないだ、小説家の安岡章太郎さんが亡くなりました。吉田東洋を暗殺した一人、安岡嘉助は、章太郎さんの先祖筋。その人物が、ここで、吉田東洋を襲撃した、土佐の幕末。