中村、四ケ村溝の水車〔358〕2004/04/08
2004年4月8日(木)晴れ
今朝は出張で中村。四万十川河口の古い町でございます。いつもは、有名な「赤鉄橋」から右岸を北上、佐田の沈下橋まで行って帰ってくるのがお決まりですが、今朝は少し趣向を変えて見ました。
四万十川から少し東へ行ったところを、四万十川と中村の町並みを挟むように流れる「後川(うしろがわ)」という川があります。四万十川の支流ですね。今朝は、中村市内をたつくった後、後川を渡って「安並(やすなみ)」地区方面を走ってみました。この安並に、「四ケ村溝(しかむらみぞ)の水車」という水車群があります。写真は、その美しい姿。
このにっこりで何度もご紹介しました、藩政期初期の土佐藩の名執政「野中兼山」ゆかりの水車ですね。兼山は、土佐の国中の土木工事を敢行し、港を改修したり農業用水を建設したりしました。この地区でも、後川の麻生に分水目的の井堰を作ったのであります。「秋田」「安並」「佐岡」「古津賀」の4ケ村を灌漑するためにつくられたので、四ケ村溝と呼ばれました。
この溝から水田に水を汲み上げる目的で数多くの水車が設置され、「四ケ村溝(しかむらみぞ)の水車」という名称で親しまれました。役割を終えた今でも、その姿を残し、心落ち着く風情を醸し出しています。
今、丁度田植えの季節。たんぼには水がはられ、早くもカエルの合唱が聞かれるようになりました。今朝の後川界隈は、そんな春ののどかさがあふれちょりました。
この水車をあとにし、後川の土手を、古津賀まで下り、右山(うやま)の南を四万十川まで走って帰ってきました。
これだから出張はやめられません。楽しいですよ。