大田口の雪景色〔3575〕2013/01/28
2013年1月28日(月)晴れ!
今朝も、汽車の中。南風に乗って本州へ向かいゆうところ。このところ、土讃線特急に乗りたくりよりますね。
四国山地の山中を走る特急は、よう揺れます。これで酔うてしまう方も多いにかありません。小生、比較的汽車には酔いませんき、汽車の中で、こうやって入力作業するがも平気です。実は、子供の頃は乗り物酔いをしやすい質で、車や船にマッタかったですが、不思議と汽車は平気でした。好きやったきでしょうね。少年時代は時刻表マニアやった、ひまわり太郎でございます。
今朝、高知の市内から北山を見ると、雪でうっすら白うなっちょりました。これは山は雪で高僧道路が止まっちゅうか?と、心配しましたが、四国の高速道路で雪による通行止めは愛媛県西部界隈。今日の雪は西か。それはそれで大変ですが、高知自動車道が大丈夫なので、ホッとしました。
で、汽車に乗って四国山中へ分け入っていきますと、大杉辺りから、線路周辺にも雪が積もっちょります。雪の量は次第に増えて、徳島との県境辺りがピーク。そっからは減ってきて、阿波池田に着く頃には、もう、雪もほとんどなくなってしまいました。今回は、大雪にはならんみたいです。
写真は、特急南風の車窓から撮影した風景。たぶん、大田口駅付近。吉野川の東岸が、このように、少しだけ開けちょりまして、集落になっちょります。
ここが大田口と呼ばれる訳。それは、こないだもご紹介した、豊楽寺さんに由来します。国宝薬師堂が鎮座まします豊楽寺さんは、正式には大田山豊楽寺。その、信仰の山、大田山へお参りする入り口に当たるので大田口。ご存知でしたか?
行基上人ゆかりの、古い古いお寺さん、豊楽寺。前回も書きましたが、山は、現在考えるよりもずっと、ヒトの行き来があり、地域が地域として成り立っちょったがでしょう。今でも、大豊の山中には、こんなところに、と思うような場所に集落があります。昔は、今のような高齢者集落ではなく、老若男女でキチンと成り立っちょった集落が、いたるところに存在した、そんな四国山中。
大田山豊楽寺も、地元のみならず、遠い所から参詣に訪れる方も多かったと思われます。大豊町には、もうひとつ名刹、定福寺さんもあって、今よりもずっと存在感のある地域やったがぢゃあないでしょうか。山から湧き出てくる水さえ有れば、人々は、その湧き水を利用して、階段状にどんどんと農地を開発していった、そんな時代。山には山の幸があり、鳥獣も多かった時代。不便で貧しかった、とも言われますが、今より、山に生業があり、すべての世代が暮らす活気があったかも知れません。昔の写真や資料を見ると、そんな様子がわかって、羨ましゅうなったりします。
今朝の高知新聞に、高知県内、ガソリンスタンド難民が増えゆう、という記事が載っちょりました。大豊町の現状がクローズアップされちょりましたね。便利と効率は大切で、街にしか仕事が無いので街にヒトが集まり、山が寂しくなっていくのは、仕方ないがかも知れません。が、それで、豊かな国と言えるのか、幸せな国土と言えるのか、考えさせられてしまいます。グローバルも結構ですけんど、地域が地域として成立ち、地域で経済、文化が循環し、完結する社会の方が、幸せであるような気がしてなりません。
山中を通過すると、色んなことを考えさせられます。