大阪の朝、八軒家の朝〔3557〕2013/01/10
2013年1月10日(木)晴れてまんがな
そういう訳で、今朝は大阪。昨日、車でやって来ました。大阪、京都、奈良方面でしたが、その3県の県境界隈、いわゆる「学研」とかの名称が散見される、あの広大な地域には、とてつもなく広大な宅地ができちゅうがを目の当たりにしました。すごい。なだらかな丘陵地帯に、見渡す限りの家。古い宅地もあり、それを取り囲むように新しい団地。真新しい家々が丘陵の向こうまで埋め尽くす風景は、感動的でした。
人口が減少し、シュリンクしていく風景を見るがに馴れちょりましたので、ああやって成長していく街の姿を見ると、ちょっとビックリします。
こないだうち、都道府県の人口のことを書きましたけんど、奈良県が、急激に人口を増やしている理由がよくわかりました。自然、環境が非常に良い上に大阪や京都の大都市へ通勤するがに便利。こりゃあ増えるはず。
大正9年の奈良県の人口は59万人。当時の高知県は67万人。それが現在。奈良県は140万人で高知県は76万人。ダブルスコアに近づく勢い。そりゃあそうなります、あの開発を進めたら。
さて、今朝は、御堂筋界隈に泊まっちょりました。で、今年初めての大阪ということで、大阪天満宮界隈をたつくりに行きました。夜明け前、静かな大阪天満宮にも、いくらかの善男善女。
学問の神様ですけんど、戎神社さんも祀られちょって、大阪らしゅう商売繁盛の神様でもあります。大阪が商売繁盛で元気になることは、この日本にとってこじゃんと大切なこと。一極集中の国は面白うもなんともない。それぞれの地域がそれぞれの地域の特徴を極め、種々雑多、混沌の中から活力が湧き上がってくる、そんな国に住んでみたい。
まだ、大阪が商都であった時代。この土佐堀沿いは、その中でも商売の中心地として栄えました。水運が、この商都を支えよったがはご承知の通り。
天神橋から、間もなく新月となる、月齢27日のお月様を眺めました。その真下が八軒家浜。
藩政期、八軒の船宿が建ち、京の都へ向かう船の船着き場があった八軒家浜。いわゆる三十石船ですね。こないだ、京都へ行ったときに、伏見の船着き場を見てきましたが、あそことここを結ぶ船は、今で言えば東海道新幹線みたいなもので、ビジネスパーソンや行楽客で賑わいよったという訳です。
このにっこりでも何度かご紹介しました。広沢虎三先生の浪曲で、森の石松っつァんは、ここ、八軒家で三十石船に乗り、京、伏見へ向かいました。次郎長親分の、金比羅参りの代参の帰り。ここで「酒呑みねえ、寿司喰いねえ」の、あの有名な場面が繰り広げられたというお話。
この風景を見るたんび、あの虎三の名調子を思わず口ずさんでしまうのは私だけでしょうか。