知られていない戦争遺跡〔3538〕2012/12/22
2012年12月22日(土)晴れ!
昨夜はよう降りましたが、今朝は晴れて暖かく、穏やかなお天気。
今朝、ちょっと時間をこさえてJr.2号と介良の山をたつくりに行っちょりました。まずは潮見台の道路を麓から駆け上がります。潮見台の団地は、鉢伏山から向山にかけての山の斜面を整地してつくられちょります。そのメインストリートは、結構な急坂。1丁目、2丁目、そして3丁目まで一気に駆け上がると、フウフウゼエゼエと心地良い負荷。一番上が3丁目で、香長平野も太平洋も眺めれる絶景ポイント。太平洋も眺めれるき潮見台ながですね。
その3丁目から、山へとつながる小径があります。それを登ると鉢伏山。ほとんど誰も登ることにない山、鉢伏山は、戦争遺跡が残る山。南西の斜面に、戦争末期、第11師団、通称錦兵団の司令部があり、山全体を要塞化しょうとしよった鉢伏山。もちろん米軍の上陸作戦に備えてのこと。「硫黄島からの手紙」という映画で、栗林中将が、島の端にある擂鉢山を要塞化して、米軍の攻撃に対抗したのと同じ。
歴史に「もし」は無いですけんど、もし、あそこで戦争が終わらず、長野県に大本営が移動し、徹底抗戦をすることになっちょったら、日本の沿岸部の各地で、あの映画のような惨劇が繰り広げられちょったかも知れん訳です。
潮見台から東に延びる山中に、向山遺跡という戦争遺跡があります。いや、ありました。2008年12月7日にご紹介し、2011年11月26日に、かなり様子の変わった状況をお伝えした向山戦争遺跡も、もう、自動車道の工事で、ほとんど無いなってしもうたと思われます。
2008年12月の現地説明会で、地下道だけでなく、塹壕や、連絡通路跡などを説明してもらいました。ですき、2010年1月24日にご紹介したように、鬱蒼とした鉢伏せ山の山頂付近で、間違いなく戦争遺跡であるだろう痕跡を発見できた訳です。頂上付近には、人間の手で掘られた溝や、貯蔵庫のような場所がたくさん。しかし、それが戦争遺跡であることは、通常気付きませんし、ほとんど知られてもない。
この写真の溝、これも山頂付近の森の中ですが、間違いなく戦争遺跡。67年ちょっと前、ここにも戦争があったことの証。介良にも潮見台にも小学校がありますき、ぜひ、子供達に、ここに戦争があった記憶を伝えていってもらいたいと思います。ここで、本気で戦争をし、硫黄島みたいに抵抗する計画の痕跡です。
さて、今日は、こっから、てっぺん近くの大山祇神社さんにお参りし、少し下ったところの巨岩の、岩屋観音さんの観音堂にお参りして、白水橋のところへ駆け下りてきました。
介良の山は、こんなに近く、重要な痕跡や信仰の対象がたくさんあるのに、あまり知られちゃあしません。夏は鬱蒼として薮漕ぎが大変ですき、ぜひ、今の季節にたつくってみることをお薦めします。