後免町、メロンパンナちゃんが立つ店のご主人は、何故、豚太郎なのか?〔3475〕2012/10/20
2012年10月20日(土)晴れ!
ここは早朝の後免町商店街。良いお天気。
この商店街には、後免町で少年時代を過ごした漫画家、やなせたかしさんのアンパンマンにちなむオブジェが、あちこちに立っちょります。
商店街のまん中あたり、北から野中兼山の用水が流れ込んでくるところの角のお店の前には、ご覧のようにメロンパンナちゃん。そして、このお店のご主人は豚太郎。
いや、本名は、いたって普通の名前ですけんど、中学、高校の同級生の我々は、彼を豚太郎(とんたろう)またはトンちゃんと呼びます。
さて。この話は、以前にも書いたことがあります。彼は何故、豚太郎なのか。50歳を超えた今になっても、彼は、何故ヒトから豚太郎!と呼ばれるのか。今朝は、その謎に、今一度迫ってみたいと思います。
豚太郎は、とにかく食べます。気持ち良いくらい、食べます。見よったら気持ち悪うなるくらい、食べます。ここで申し添えちょかんといけませんが、彼は、ホントに良い人。こんな好人物、ちょっと居らんくらい。で、とにかく食べることからできあがってきた、その愛すべき体型、風貌にも、人の良さが滲み出してきちょります。そんなトンちゃん。ホントに良いヒトです。
何故、彼が豚太郎と呼ばれるようになったかについては、様々な伝承があります。一番、人口に膾炙しちゅうのは、次の、「豚太郎ブラックリスト出入り禁止説」。
高知に、それまでの中華そばではない、塩ラーメンとか味噌ラーメンとかが食べれるお店ができ始めたのは、我々が小学生の頃。1970年頃でしょうか。追手筋に、たしか、サッポロラーメンとかいう名前のお店ができたがが嚆矢やった気がします。違うかも知れません。そして、その後、豚太郎ができました。小生は、要法寺町にできたお店に、よう行きよりました。中学校に上がる頃には、何店舗かできちょったかと思います。
そして、15分で3杯、スープも残さず食べたら、タダになるとかなんとか、そんなキャンペーンをやりよったという訳です。この辺からは伝承、伝説モード。
で、中学校に入学した頃、彼(まだ、豚太郎くんではない)は、とてつもない食欲を満たすため、そのキャンペーンに目をつけたのでありました(あくまでも伝承です)。そして、何度もクリアして、タダで食べる少年は、いつしかお店のブラックリストに載り、いつの間にか、「お客さん、かんべんしてくださいよ!」状態になったとかならんかったとか。
それを聞いた同級生が、彼のことを豚太郎と呼び始め、そして40年。40年経っても、彼は豚太郎と呼び続けられることにりましたが、その、始まりの伝説。レジェンド。
そして、現在、みな、愛情をこめて「トンタロウ!」「トンちゃん!」と呼び、本名を知らない、という状況である訳です。
真相は、知りません。誰も、その辺を検証しょうとはしませんが、この、「豚太郎ブラックリスト出入り禁止説」は、まことしやかにササヤかれ、ほとんどの同級生がそれを信じるに至っちゅうがはご承知の通り。
今日のこの記事を、同級生がいっぱい見ゆうfacebookにリンクしちょきますので、そこで、真相や新事実が出て来るかも知れませんので乞うご期待!
さて、余談ですが、我々が高校くらいになると、おむすび屋さんが登場しました。まだ、ほか弁とかがない時代ですき、結構重宝したおむすび屋さん。その名も「おむすび米太郎」。
ところがこれ、ふりがなが振っちゃあせんので、読み方がヒトによって違う。つまり、「よねたろう」派と「こめたろう」派にわかれ、争いよったのでありました。中には、「いや、ひょっとアメリカタロウかも知れん!」などというマニアな説を唱える者も出現し、混乱を極めたのであります。
いや、ホントに余談でした。