あれから1年半〔3436〕2012/09/11
2012年9月11日(火)曇っちょります
昨日は会社から走って帰り、今朝は走って出勤。この夏2度目の出勤RUN。家を出た時はまだ小雨。夜が明けるとともに雨が上がり、晴れ間も見えるようになってきました。て、これを書きゆう間に、また降り始めました。今日は晴れの予報やなかったがかね、まっこと。
今の季節、夜明け前が一番涼しく走りやすい時間帯。ですきに、約15km、快適に走って水のシャワーを浴びて着替えてスッキリ。それでもまだ6時になっちゃあせん、というのは、かなり得した気分になれます。ぜひ、皆さんもお試しを。
さて、ここは会社到着直前。国道55号線から枝道に入るところ。この向こうが新物部川橋。側道を突き当たり、右へ行くと空港。左へ行くとひまわり乳業。
で、ご覧のように、このポールに最近海抜表示が貼られました。これ、あちこちで見れるようになってきましたが、こじゃんと有意義やと思います。いったいその界隈の海抜がどれっぱあなのか、なかなかわかりません。これがあると、津波避難の目安になります。
この表示によりますれば、ここの海抜は約12m。ひまわり乳業も、たぶんここと同じ高さくらいやと思われます。海岸から3km。海岸の、最悪津波想定は16m。安政や宝永の際は、そこまでの高さの津波はきちょりません。ですきに、12mというのは結構微妙な数字、と、高知大学の岡村真特認教授もおっしゃっておられました。ともあれ対策は練っちょかんといけませんです。
今日で、あの大震災から丁度1年半。昨日のにっこりで、安政南海地震津波から丁度1年半頃の、宇佐、真覚寺住職静照さんの日記をご紹介しました。マラリアが流行するのは津波溺死者の祟りである、とか、震災後の庶民の感情がよくわかる日記。世情は落ち着きを見せてきちょりまして、普段の習俗を普段通りにおこなう風景も。
安政3年5月19日 雨
お昼前から高知へ。雨は降らんけんど、雲が厚うて、こじゃんと蒸し暑い。鰹を担いで雑古場へ行く者がどっしこおった。上町までの間に、二十数人。午後2時頃本町着。風呂に入って休息しゆうところへ、光顕寺が、用事があると言うて会いに来た。夜、千蓮寺参詣。御法座があって、参詣人が本堂から溢れよった。御法座が済んで本町へ戻ったら、お酒のご馳走があった。話をしゆううちに鶏が鳴き始めた。それから寝所に入った。今夜、8時くらいには星がクッキリ。10時ばあから曇った。
当時、宇佐に水揚げされた鰹は、天秤棒にぶら下げた笊に乗せ、健脚自慢が高知の城下まで走って運びよりました。鮮度のこともありますき、時間勝負。ちょっと尾籠な話で恐縮ですが、立ち小便する暇もなく、走りながら用を足した、という記録も残っちょります。
このお坊さん、結構、お酒も好きにかありませんね。好感が持てます。
翌々日、宇佐へモンちょりますが、その道中でも、鰹荷い三十数人に会うたという記事があります。梅雨時分ですが、近海の鰹がどんどんと宇佐に水揚げされ、お城下に輸送されよったことがよくわかります。あと、この季節、ヤマモモ売りが多いですね。鰹の話題と同じくらい、ヤマモモ売りの話が出てきます。
震災から1年半経過すると、まだまだ余震はあるものの、普段の生活にかなり戻りつつある様子が見てとれます。当時は原発もなかったので。