境目番所と参勤交代〔3426〕2012/09/01
2012年9月1日(土)降ったりやんだり
早いもんで、もう、9月。今年の8月は、まあ、よう降りました。9月になっても続きよりますが。とにかく、南から湿った空気がどんどん流れ込んでくる感じで、降り方がガイ。突然ガイな雨が降り始め、突然やみます。今朝もそんな感じ。昨日、岡山へ行っちょったことを書きましたが、四国山脈の北側は結構穏やかに晴れちょります。昨日のあの笹ヶ峰隧道の北と南ではエラい違い。向こうは晴れちょったので、高知も晴れちゅうろうかと思うてモンてきたら、高知県に入ったとたんに大雨。山中はずうっと降りよります。香長平野は、山ほどではないにしても雨。四国山地に南からの湿った風は突き当たり、雨を降らせゆう感じが実感できます。う〜ん。
ここは今朝の野市、上岡八幡宮。拝殿の周囲は、雨に濡れて幽玄な雰囲気。クマゼミはとうに姿を消し、鈴虫などの秋の虫の声が涼やかに響く境内。パアーっとした感じの晴れ間がないまま、季節は秋へと向かいます。これもまた地球のいとなみ。仕方がないので、高知の9月を、ビックリするくらいの勢いで楽しみたいと思いよります。
昨日、土予国境の隧道をご紹介しました。で、境目番所の話とか、参勤交代の話とかを書くつもりやったがです。が、つい、DDDD症候群のことを書いてしまいました。予定は常に流動的、発作的なDDDD症候群ですき。
藩政期、山内家の土佐藩は、国境の警備をかなり厳重にしちょります。人間と物資の出入りを、厳重にチェックしよりました。
海の方は、各港に番所を置いてチェック。そして山には、86ヶ所の境目番所を置いて、監視体制を築いちょったのでありました。あの、険しい山中に86ヶ所。番所の役人は代々世襲やったようですき、その家に生まれたらずうっとその山中で一生を過ごした、ということになります。
86ヶ所の中でも、重要なのが昨日の笹ヶ峰の手前にある立川、安芸郡野根山の岩佐、そして吾川郡名野川の3番所。交通量の多い、重要なルートの番所やったきです。若き日の龍馬も、江戸へ修行にいくには立川ルートを通りました。
かなり厳重な警備ではあったようですが、金比羅参りなどには寛容やったにかありません。あと、山の住人が伊予や阿波へ塩などの物資を買いに下りて行くのには、簡単な塩買い手形も発行されたようです。杣人は、許可を得て、山を行き来しよりました。
山内の殿様、参勤交代で江戸へ行かんといかん訳ですが、最初は昨日の北山街道ではなく、東のルートを使いよりました。野根山街道。
海岸線をまっすぐ東へ行き、奈半利から山に入って東洋町へと抜けるルート。野根山街道は、かなり整備されたルートであったようです。ひまわり太郎ゆかりの田野町にある岡御殿は、そのルートで参勤交代した際に使われた大名の宿舎でございます。
6代藩主山内豊隆のとき、そのルートが変更されました。享保3年(1718年)のこと。紀伊水道を渡るのに、暴風などに悩まされることが多いということで、静かな瀬戸内海を渡るルートに変更された訳です。それが北山街道。
お城下から国見山、本山を抜け、そして立川へ。笹ヶ峰の難所を越えて、伊予の馬立へと抜けるルート。野根山街道よりも険しい山を歩かんといけませんが、とにかく瀬戸内海が穏やかですき、そちらが優先。あのルートが、高知市と瀬戸内海をつなぐ最短ルートであることは、現在の高速道路がそこを通っちゅうことでもよくわかります。