二人の亀蔵さん〔3351〕2012/06/18
2012年6月18日(月)曇り
台風が来よりますね。なんとか南へ逸れてほしいところ。気を付けんといけません。
さて、この写真、実は、会社の、ひまわり太郎の部屋の窓から撮影したもの。そう。窓の外にはヤマモモの樹。机に座ると、このヤマモモの樹が見えるのであります。今、丁度、真っ赤な実がたわわ。おいしそうに見えますが、実は、この樹のヤマモモはそれほどでもありません。会社のヒトは、みんな知ってます。工場敷地内には、これと別に、食べたらおいしいヤマモモの樹があります。工場のヒトは、結構知ってます。
ヤマモモは山桃で、ヤマモモ科、ヤマモモ属。もちろん、この樹に咲く花は高知県の花。高知のシンボル、ヤマモモ。昔は、よく、この季節になるとカゴにヤマモモを入れたヤマモモ売りのおばちゃんがやって来よりましたですよね。最近は見んなりましたが。
以前にも書きましたが、ヤマモモでも、「亀蔵」というブランドが特に美味しいとされます。これは、南国市十市の島田亀蔵さんという方が、幕末の頃に自宅の裏山で発見した1本の樹がすべての始まり。その樹に成るヤマモモの実が、大きいしおいしいし、これは良い、ということで接ぎ木をして広まったという訳です。
亀蔵というヤマモモは、接ぎ木で増えた、特別のヤマモモなのであります。亀蔵さんのお陰。
土佐で「亀蔵」さんと言いますと、もう一人、恩人が居るがをご存知でしょうか。宇佐の亀蔵さん。宮尾亀蔵さん。屋号は播磨屋で、播磨屋亀蔵さんとも言います。
天明の生まれで、幕末の嘉永6年まで生きた人物。紀州からやってきた漁師さんに教えてもらい、上質な鰹節を作り始めて「亀蔵節」と呼ばれ、高い評価を得たそうです。息子の佐之助さんが、それを改良、それが「土佐節」として広まりました。宇佐を中心とする、現在の土佐の鰹節づくりの元は、亀蔵さん、佐之助さん親子ということ。土佐の鰹節の製法は、ここで大きく発展したのであります。
十市の亀蔵さんも、宇佐の亀蔵さんも、現在につながるおいしい風味のはじまりに深く関わる亀蔵さんなのでありました。