霧の高知エアポート〔3247〕2012/03/06
2012年3月6日(火)濃霧の朝
今朝は、香長平野、深いミルクのような霧につつまれちょりました。これっぱあ濃い霧はちょっと珍しいくらい。いつもの場所がいつもとは違う風景になり、美しい朝になりました。ちょっと得した気分になります。
ここは高知空港の南東。滑走路は北西から南東に延びちょりますが、その南東部分の延長線上の土手の上から、滑走路の灯りを撮影してみました。朝6時を過ぎると、こうやって、滑走路のライトを全部つけて始業確認をしゆうようです。今朝は霧の高知空港。霧のロンドンエアポート、てなことは聞いたことがあります。ヒースロー空港はビッシリ霧が発生するがで有名やったような気がします。行ったこたーないですが。
重力を感じさせるような濃密な霧の中、滑走路の灯りがぼんやりと輝きます。こないだの新聞に、大津波発生の際、この南の久枝の住民達が、滑走路を横切って空港ビルに避難できるように検討する、てな話が載っちょりました。当たり前っちゃあ当たり前な話を、なんで、こんなにややこしい手続きを踏もうとしていくがか、理解できませんな。何故当たり前か。
このにっこり読者の方はご存知の通り、戦前まで、この滑走路のところに標高29.6mの山がありました。室岡山。地元では「命山」「宝山」と呼ばれた、津波の際に避難したり、流された人が流れ着いたりした命の山。
東日本大震災の前、2010年2月4日のにっこりから始まって、震災直後の2011年3月28日など、何度も何度もご紹介してきた命山。あの頃は、標高20mないと思い込んじょりまして、そう記述しちょりますが、その後の調べで標高29.6mあったことがわかっちゅう命山。
太平洋戦争後期、海軍の飛行場を建設するに際して取り壊され、消滅してしもうた命山。
これで、久枝の住民達は、大津波からの逃げ場を国家によって奪われました。
その久枝のひとたちが、滑走路通り抜けなど、なんとかして避難できる術を考えてもらいたい、と陳情した折、「法律によって無理」と答弁した国土交通省。なぜ、「とにかくなんとかできるように頑張ってみます」と言えんのでしょうかね。戦争をまたいじゅうとは言え、同じ日本の国家がしでかしたことの尻拭いは、国家がせんといかん訳ですき。ですきに当たり前っちゃあ当たり前ながです。
間もなく震災から1年。ホントに大切な事、やらんといかんことを、ホントに大切な優先順位でやりゆうか、考えてみましょう。まず、逃げる場所。