小雨に濡れる土佐神社の朝〔3219〕2012/02/07

2012年2月7日(火)小雨
で、昨日書きましたように、日本では神社などの信仰の施設は、山裾にあることが多い訳ですが、高知で、その代表と言えばここ、土佐神社。土佐一ノ宮であり、その格式、雰囲気ともに、他を圧します。写真は今朝、小雨に濡れる土佐神社。
この土佐神社の現在の社殿は、1570年、長宗我部元親さんによって再建されたもので国指定の重要文化財。
永正6年(1509年)、勢力を伸ばしてきた長宗我部兼序を、本山氏や吉良氏、大平氏などの土佐の諸勢力が連合して討ちました。その時、連合軍は一宮の集落界隈にも火をかけ、土佐神社もほとんど焼失してしもうたということです。岡豊城も攻め落とされ、兼序さんも討たれましたが、逃れた息子、千雄丸が、国親となり、再び勢力を盛り返して、息子の元親へとつながっていきました。
元親さんは、永禄10年(1567年)から、一宮の再興に着手、高知平野在地の家臣を総動員、つまり上級家臣から小名主まで動員して、社殿を建設したということです。長浜の若宮八幡宮さんが、出陣での戦勝祈願の社として「出蜻蛉」形式、つまり社殿の配置が、蜻蛉が出て行くような配置やったので、このお社は、凱旋を報告する、「入蜻蛉」形式に造営した、というのは有名ですね。
ひまわり太郎も、子供の頃、父親から、土佐神社は入蜻蛉、という話をビッシリ聞かされて、こじゃんと印象に残っちょります。
さて、この土佐神社、ご祭神がはっきりしちょらん神社です。
味すき高彦根神とも、一言主神とも言われ、特定しちょりません。どちらにしましても、賀茂氏系の神様で、土佐国に勢力を張った賀茂氏の祖先神を祀った神社、ということが言えるでしょう。
ただ、賀茂氏の神様となる以前から、幽玄な山裾のこの地では、自然の神様が祀られよったようです。朝倉神社が、太古の昔から、背後の山をご神体として祀ってきたように。
土佐神社の始まり、もしくは太古の人々の信仰の一つとして考えられちゅうのが、社地北東に鎮座まします巨大な石、「礫(つぶて)石」。この巨岩を磐座(いわくら)、つまり神が降りて来る岩として祀ったのが、太古の昔やったということ。
その辺の経緯については、2009年11月10日のにっこりで、じっくりまったり考察しちょりますので、お暇な方はご覧下さい。
小雨に濡れる夜明け前の入蜻蛉。神々しく厳粛に、静かに鎮座。