小雨の上岡八幡宮、日本人と宗教施設〔3218〕2012/02/06
2012年2月6日(月)小雨のち曇り
昨日は、工石山から下りてきて街へモンて来た頃から小雨が降り始めました。午前中にたつくりに行っちょって良かったです。天気が悪うなることがわかっちょったがでしょう。どうりで、昨日遭遇した登山者は、登り始めのところで追い抜いたご高齢の男性一人のみでした。あの方も、ゆっくり雪景色の写真を撮ったりしよりましたので、頂上までは登らんかったがやと思います。
山の、風がなく、ちょっと小雪がちらつくくらいの天気は、結構好きです。雪が音を吸収しつくしてしまい、白うに霞む景色を静寂が包みこむ感じ。そんな中、自分の足音と呼吸だけを聴きながらたつくるがが、好きです。
ここは、野市、上岡八幡宮。今朝、夜明け前。小雨が霧のように舞い落ちてくる神社。小雨の神社、これも好きです。何度かそんなお話をしたことがありますね。
山麓に鎮座まします神社は、その自然の中で、神秘的な神々しさ、厳粛さを保っています。小雨に濡れる参道や拝殿は、その大自然の厳粛さを一層引き立て、なんとも言われぬ雰囲気を醸し出します。
こないだ、ご講演にお呼びした法政大学の陣内秀信先生が、日本の町の形成について、興味深いことをお話しております。
ヨーロッパでは、教会などの宗教施設は町の真ん中に鎮座。シンボリックな建物と、町の人々が集まってくる広場があります。そこは、まさしくコミュニティの中心。
日本の町は全然違います。神社などの宗教施設は、町の外縁部にある山の麓や海辺などに鎮座。自然と一体化しています。そして、その門前に、賑わいが形成されていき、繁華街となる。広場は、橋の袂などにつくられ、そこに芝居小屋や猥雑な路地が形成されていく。
なるほど。言われてみればそうですね。神社などの宗教施設が、地域コミュニティの紐帯であることは、欧米と同じですが、その有り様、場所が、全然違います。
昨日の工石山も、一昨日の雪光山も、信仰の山。雪光山の山道には縁日が立ち、賑やかに相撲も行われたということ。
日本人は、ヨーロッパ人と比べて、はるかに自然と深く付き合い、自然を敬い、自然を恐れ、自然とともに暮らしてきた民俗なのでありました。