かきねのかきねのまがりかどの向こうに住んじょりました〔3213〕2012/02/01
2012年2月1日(水)東京は快晴!
今朝は東京。昨日、業界の寄り合いで上京、新宿に泊まっちょりました。今日からビックサイトでは、スーパーマーケットトレードショーが開催され、ひまわり乳業も出展しちょります。ぜひご来場になってみてください!
さて、何故新宿に泊まっちょったかと申しますと、朝、ここをたつくってみたかったきです。今年1月4日のにっこりを書きよって気付いた衝撃の事実を、この目で確かめてみたかったのであります。ここは中野区上高田三丁目。
かきねのかきねの曲がり角 たきびだたきびだ落ち葉焚き
あたろうか あたろうよ 北風ぴいぷう 吹いている
誰でも知っちゅう童謡「たきび」のこの歌詞は、この場所の風景を詠んだものということだそうですね。
この歌の作詞者は、岩手県生まれの巽聖歌(本名野村七蔵)さん。明治38年に生まれ、北原白秋さんに師事した詩人。巽聖歌さんは、昭和5年頃から13年間、この近くの上高田四丁目に住んじょったそうです。で、朝な夕なにこの界隈を散歩したり、仕事に行くのに通ったり。そして、この左手の家の垣根の曲がり角でやりよったたき火の風景を歌にしたとか。
ひまわり太郎が、学生時代暮らしよったのが、最初の二年間が上高田三丁目、後半二年間が上高田二丁目。で、今朝確認してみましたら、最初の二年間暮らしよった下宿屋さんは、その向こうの曲がり角(今は垣根ではないですが)を右折、15m行って左折、40mの地点にありました。いや、その建物は、持ち主は変わっちょりましたが、今でも立っちょりました。当時ももうかなり古かったですが、あれから30年。今でも健在ながが嬉しいです。
さて、この左手に、中野区教育委員会さんが立てた案内板があります。ここが「たきび」発祥の地であることを書いちょります。
しゅっと近所に住みよったにも関わらず、全然知らんかったですね。この案内板が立てられたのは昭和58年3月。大学3年生の終わり頃。その頃には、もう、しゅっとそこの下宿には居らんかったですきんね。けんど、そんなに遠い訳ではない二丁目に住みよった訳で、やっぱし、当時、もっと近所たつくりまわっちょったら良かった、と今になって思います。
しかしあれですね、この発祥の地、今でも広大な、緑に囲まれた民家ながです。この界隈、せんばい路地が入り組んで、小さな建物がゴチャゴチャと建っちゅうイメージながですが、突然、こんな広い緑の空間があったことに驚きます。大きなケヤキの樹がそそり立つ、ホッとさせてくれるような場所。
そこには昔、垣根がはりめぐらされ、この小径でたき火をしたり子供が遊んだり。そんな風情を、今でも感じさせてくれる素敵な場所。
ところで話は変わりますが、明日2月2日、13:30から15:00まで、高知商工会館にて、高知の文化・偉人たちを学ぶ会という催しで、ひまわり太郎が「寺田寅彦・馬場孤蝶と土佐の文人たち」というテーマで語ります。もし、お時間がございましたら、無料ですきにご来場ください。もれなく、新発売のペットボトル飲料「土佐ぶんたん」が付いてきます!