海抜マイナス0.2m、龍馬のいか焼き〔3150〕2011/11/30
2011年11月30日(水)晴れ!
暖かい朝。このところ日中もヌクいですね。
ここは今朝の宝永町。最近、このように、海抜表示をしちゅうところが増えてきました。大切なことです。ここ宝永町の町名は、ビッシリ書いていいました通り、宝永南海地震の後で構築された堤防、「宝永堤」に由来します。
山内氏が高知の城下町を建設した際、知寄町には深い渕があり、この界隈も干潟みたいな土地やったと推察されます。そこに堤をつくり、その内側に農地や宅地をつくっていったのでありました。そうやって作られていった街に、新町などがある訳です。
で、この辺りに、江ノ口川と鏡川をつなぐように堀と土塁がつくられちょりました。その土塁は、1707年の宝永地震で壊れてしまいます。そこで、より強固な堤防として、通称宝永堤がつくられたという訳です。その堤があったので、現在ここは宝永町。
桟 橋とかへ行くと、海は陸地よりだいぶ下に見えるので、何となく、我々が普段生活しゆう場所も、海面よりだいぶ上にあると思いがちです。が、堤防で守られた 高知市内は、海抜が1mに満たん場所ばっかし。そしてここのように、海面より下に道路や街があるケースも珍しゅうないがです。この宝永町の交差点の海抜は ご覧のようにマイナス0.2m。地震が発生したら地盤が沈下しますので、もっと低うなります。そこに海の水が流入してくると、かなりの高さまでの浸水が予 想できます。そして、破壊された堤防の修復が進み、堤防の内側に溜まった海水をポンプなどによって排水できるまで、浸水しっぱなしになります。想像してみ ましても、かなりの長い期間になりそうです。そんな場所に、我々は住みゆうということを肝に銘じちょかんといかんがです。
さて、気になるのがその 横の「龍馬のいか焼き」。高知の皆さんは、何かと言えば「龍馬」さんを持ち出してきたがります。これでもか、と言うばあ。いかがなものか、と言うばあ。 が、「龍馬のいか焼き」は初めて。どんないか焼きか気になるところ。海抜マイナス0.2mの龍馬のいか焼き。