史蹟 品川台場 参番〔3138〕2011/11/18
2011年11月18日(金)曇り
今朝も東京。昨日、麹町台地の上の中級武士屋敷の痕跡をご紹介しましたので、今日は海辺。ここは東京都の史蹟、台場公園。新橋からゆりかもめに乗って行く、あのお台場。向こうに、某テレビ局のオダッた建物が見えよります。
昨夜の東京はこじゃんとホテルが取りにくく、結局お台場のホテルに泊まっちょりましたので、今日は暗い夜明け前からお台場の海をたつくりまわってきました。
あ のテレビ局の建物がある埋め立て地を、通称でお台場と呼びます。もちろん語源は、ペリーがやって来た後、江戸防衛のために築かれた砲台。江戸の海からの入 り口、品川に、品川台場として築かれました。ペリーがやって来たがが嘉永6年。で、やって来た翌月には着工して、1年3ヶ月で6基の砲台を建設しちょりま す。まあ、慌てましたですね。設計したがは、かの有名な江川太郎左衛門さん。伊豆韮山の代官。代々江川太郎左衛門ながですが、有名ながは、海防を唱え、西 洋砲術を日本に広めた江川太郎左衛門英龍さんで、この砲台を設計したがももちろんその方。
で、ここは第三台場。現存しちゅうがはこの第三と第六だけやそうで、この第三台場は、おしゃれげなお台場海浜公園から海に突き出した四角い台場がそのまんま残っちょります。
調べてみますと、砲台の台場のうちで、通称お台場と呼ばれる埋め立て地界隈にあるのはこの第三台場だけで、あとは品川の方にありますな。
こ の写真をご覧下さい。正方形に近い埋め立て地は、周囲の石垣の高さが5m~7m。そして、その高さの土塁に囲まれ、内側はこんなになっちょりました。なる ほど。右手に見えるボチボチが並んだ所に陣屋があったそうです。そして、土塁沿いには弾薬庫が並べられ、そして土塁の上に大砲が据えられました。まあ、米 軍の軍事力に比較すれば小さい小さい威力やったでしょうが、この台場の施設を見ると、幕府がこじゃんと慌てて、本気で防衛しょうとしよったことがわかりま すね。こんな規模の防衛施設を6カ所も、1年3ヶ月で構築したがですき。
この砲台をやられたら、江戸の街はしゅっとそこ。今にも、江戸を米軍に占領されるかもしれん、という心持ちやったがでしょうね。
今、お台場の海浜公園はキレイに整備されました。昨日のにっこりにも書きましたが、水の辺は、人間にとって大変大切な場所である、ホッとする場所であり、楽しみたい場所なのであります。東京湾と隅田川のクルーズが人気なのは、理由があるがですね。