赤岡シリーズ 須留田八幡宮と野崎元工場長〔3093〕2011/10/04
2011年10月4日(火)晴れたり曇ったり
赤岡をご紹介するのに、この、須留田八幡宮を忘れたらいけません。赤岡の街の北に鎮座まします八幡様は、元弘年間(1331年~1333年)勧請とも言われる由緒ある神社。ご祭神は、八幡様ですきに応神天皇、神功皇后、そして比売大神。
境内を見てみますと、天保時代の灯籠、狛犬、そして玉垣などに、商売人の名前がずらり。藩政期に殷賑を極めた赤岡の町人達が、この八幡様を、こじゃんと大切にしてきよったことがわかります。
そ して、現代になっても、平成9年、大普請が行われちょりまして、参道や、拝殿周囲は、新しく立派なものになっちょります。寄進者のお名前のトップに、金額 も書かず特別寄進者として北村さんのお名前があります。技研製作所創業家のKさん。かなりのご寄進をしたものと推察されます。
昭和51年の、小改修の寄進者名には、5万円のところにKさんのお名前がありましたですきに、その社業発展の具合がようわかります。たいしたもんですね。
その寄進者名の最後に、土地十六歩を寄進されたとして、野崎さんという方のお名前がありました。おう。以前、ひまわり乳業で勤務され、南国工場長等を歴任された野崎さんではありませんか。久々にお名前を見ました。地元を大切にされゆうがですね。素晴らしいこと。
こ の須留田八幡宮さんの拝殿は、文化4年(1807年)に再建された古い建物。その後、補修されたりしちょりますが、趣は、その古さを伝えてくれます。その 拝殿には直径二間のろくろ式回り舞台があったそうです。で、その奉納芝居はすごかったようですね。あの、金比羅さんの金丸座に上方の役者さんが来演した 際、その役者さんをここまで呼び寄せたりもしちょります。天保の改革時、地方芝居興行が禁止された際にも、ここだっけは例外で、「地方芝居」ではのうて 「奉納芝居」ということで認められました。ですきに、変装してわざわざ観に来る武士もおったとか。
今、その回り舞台はどんなになっちゅうがでしょうか。伊野の、八代の舞台みたいに、昔ながらに再現して芝居興行やったら面白そうですが。
そうそう、あの、絵金さんの芝居絵は、この八幡様に奉納され、奉納芝居の際に抜群の効果をあげよったというもの。須留田八幡宮の奉納芝居がなければ、絵金さん、あんなにたくさんのものすごい芝居絵を描くこともなかったかも知れません。