筆山、高見山のお墓〔3083〕2011/09/24
2011年9月24日(土)快晴!
今朝は寒いくらいの朝。腹を出して寝よったら風邪引きます。気をつけんといけません。このところ、休日は色々と用事があって忙しかったので、今日は久々に山をたつくりに行っちょりました。久々ですき、メッソ無理をせんように、近いところの山々。
ま ずは街中から南下、天神大橋を渡り、筆山を駆け上ります。そして筆山から高見山方面へ。この界隈は、とにかくお墓の多いエリア。筆山の北側斜面、つまり、 お城や、山内家菩提寺の真如寺に面した斜面には、立派な大きな墓所が多うございます。山内さんという名前のお墓も多く、山内のお殿様の一族が、この筆山北 斜面の立派なお墓群を形成しちゅうにかありません。
筆山の東斜面から高見山の東斜面にかけては、吉田東洋さんを始め、土佐藩重臣の墓所が多いよう です。今日通った、昔の往還沿いの山道は、エラい方々の墓所もありますし、そんなにでもない庶民のお墓も多いです。今日は、お彼岸ということもあって、た くさんの善男善女がお墓参りに訪れちょりました。秋のお彼岸は、草ぼうぼうで、草刈りと掃除が大変。皆さん、一生懸命でした。
最近、高知新聞で、 太平洋戦争のニューギニアでの戦争で亡くなったり生き残ったりした高知県出身の兵士のことが書かれよります。通称南海支隊と呼ばれる、高知出身者を中心と した部隊は、昭和17年、ニューギニア戦線で翻弄されました。激戦で犠牲になった兵士も多いですが、ジャングルの中で、たくさんの兵士が飢えやマラリアな どによって犠牲になりました。この、筆山から高見山をたつくりよりましても、道沿いのお墓に、ニューギニアなどの文字が見えます。墓石の側面にたくさんの 細かい文字が書き込まれちゅう場合、たいがいそのお墓は戦死した兵士のお墓。どんな戦線で活躍し、どこで戦死したかが刻まれちゅうがです。この道沿いに も、そんな、南方戦線や中国戦線などで戦死された方のお墓がたくさんあります。いちいち読むと、胸が痛みます。
ここからもうちょっと、高見山の脇 を抜けて北中山へ向かう途中の左手に、案内板付きで、三原兔弥太さんの立派なお墓があります。維新の志士で、土佐勤王党員。戊辰戦争の会津若松城攻めで戦 死。大きな墓石の脇には、かの、谷干城さんが撰文した文章が刻まれちょります。そのお墓が、戦死した兵士の功績を刻むお墓の嚆矢でしょうか。