ぼんやりぼんやり〔3067〕2011/09/08
2011年9月8日(木)晴れ!
昨夜は松山。仕事で夕方行った訳ですが、泊まるがにオウジョウコキまし た。飲み会があったので、高知へ帰る訳にはいかんかったがですが、ホテルがどこも一杯で、大変やったがです。とにかく、松山道後エリアのホテルはどこもど のプランも満室。まあ、タカをくくって予約もしちょらんかったががイカンがですけんど。地元のホテル関係の社長さんにも探してもろうたがですが無理。なん とか探し当てたがが、市内からちょっと北へ外れたリゾートホテルの優雅なお部屋でございました。そこしかありませんでした。松山は、道後温泉もあって、高 知の数倍は宿泊キャパシティのある所ながですが、平日にこんなことがあるがですね。勉強になりました。こじゃんと。
で、朝、松山支店で仕事をし ちょいて、国道33号線で高知へモンて来ました。松山と高知を結ぶ幹線国道。一刻を争わんときは、松山高知は、この道が心地良いです。松山から一気に三坂 峠712mを登り、あとは高知まで基本的に下り。面河川、久万川など、仁淀川水系の川沿いにずうっと走る国道は景観抜群。
ここは、愛媛の久万から下って来たところにある上黒岩岩陰遺跡。国道に看板があるので、一度立ち寄ってみたいと思いつつ今日が初めて。四国では珍しい縄文の住居遺跡で、なかなかの雰囲気がありました。
発 見されたがが昭和36年の春と言いますき、丁度ひまわり太郎が生まれた時期。地元の中学生がみつけたそうです。一番古い部分は1万7000年前前後。南面 した、川に近い岩陰は、こじゃんと住みやすかったようで、弥生まで続くものすごい長い時間、ここにヒトが住み続けたにかありません。
四国では、2006年4月16日にもご紹介した佐川の不動ヶ岩屋遺跡と、この上黒岩岩陰遺跡が愁眉。どちらも仁淀川水系というがは、偶然ではないでしょう。仁淀川界隈は、一万年以上昔の四国では、ヒトが生活する条件が整うちょったがかも知れません。
ここ上黒岩遺跡は、ご覧のように、発掘部分が構築物で覆われ、朝やきあいちょりませんでしたが、小さい資料館も併設。ここで一万数千年前にヒトが住みよったと考えたら感慨深いものがあります。
て、今日はにっこりを書く時間がなく、今になってしいました。夜も、飲みながらの会合があったので、その帰りがけに、酔うてぼんやりした頭で書きよります。ぼんやりぼんやり。