大石弥太郎さんの生家〔3054〕2011/08/26
2011年8月26日(金)晴れ
昨日の朝、東京スカイツリーから北千住のホテルに帰りよりましたら、工作とかの荷物を抱えた小学生に遇いました。どうやら、もう、夏休みが終わったがにかありません。季節は移ろいます。高知の皆さん、宿題は済みましたか?
さて、今朝は高知、ひまわり乳業の東、香南市は、幕末、維新の志士を輩出しちょります。今までご紹介したことがあるのは新宮馬之助さん。昨年10月8日のにっこりで、馬之助さんが描いた絵馬をご紹介しちょります。
そ して、勤王ということでは、土佐ではかなりの重要人物、大石弥太郎(圓)さんも、香南市の出身。旧吉川村の古川という地区の郷士に生まれました。今年は土 佐勤王党結成150年とかで、盛り上がろうとしよりますが、武市半平太さんが土佐勤王党を結成した際に、半平太さんに次いで2番目に署名血判したがが大石 弥太郎さん。結成に際しての盟文を作成したがも大石弥太郎さんですきに、中心人物中の中心人物。土佐勤王党は、武市、大石がつくった、と言われるがも、そ んなところから。その、大石さんの生家は、こじゃんと判りにくい場所にあります。土佐くろしお鉄道よしかわ駅からちょっと西。田んぼと民家の間の狭い径を 入り、更に狭い畦道のようなところを入っていくと、写真の風景が見れます。とは言え、この塀の内側は普通の民家ですき、こっからしか撮影できません。案内 板はここにあるだけで、かなり詳しい者でないと、ここまではたどりつけんでしょう。
大石さんは、維新の志士として活躍、戊辰戦争でも参謀として功績を挙げちょります。新政府の軍事局監事兼監察といいますき、かなりの重要ポストに就任しましたが明治4年1月には辞めて土佐にモンて来ちょります。
もし、そのまま中央に留まっちょったら、どうなっちょったでしょうか。
しかし、土佐に帰った大石さん、古勤王党の保守派として活動した後、余生を、易学とかの研究で悠々自適に過ごし、大正5年、88歳で亡くなっちょります。これは、かなり有意義かつ幸せな人生と言えるがやないでしょうか。
土佐勤王党結成150年。その人生に、もうちょっとスポットを当ててもエイと思われる人物です。