家を建てる場所〔3017〕2011/07/20
2011年7月20日(水)晴れたり曇ったり
台風が過ぎ去りました。高知県中央部は、思うたほどの雨は降らんかったですが、県内各地、様々な被害が出ちょります。皆さんのところは大丈夫やったでしょうか。被害に遭われた皆さんに、心よりお見舞い申し上げます。
今 回の台風6号、まさに高知に上陸するコースをたどってきました。しかし、進路を東に変えて室戸岬をかすめるようにして通過後、突然北上。それが義務である かのように徳島県南部に一度上陸、引き返して、紀伊半島方面に進んでいきました。ですきに、高知県に上陸しちょりません。こんな動きをする台風もあるがで すね。わざと、高知県を避けたとしか考えられんコースでした。
写真は、物部川東岸の堤防上から眺めた野市界隈の風景。堤防の外には、増水した物部川が流れよります。
右手彼方に見えるのが三宝山。左端には、いつもの上岡八幡宮の山。撮影地点は、上岡山から堤防を南へ数百メートル下った所。
こ の写真には、昔から、水害や津波に遭うてきた姿が写っちょります。向こうに人家が並んじゅう場所が、上岡の集落。あの家々は、手前の田んぼから言うと、数 メートル高い場所に建っちゅうがです。河岸段丘の上。台地のようになっちょります。野市は、河岸段丘の上、台地の上の、海抜の高い場所にできた町ながで す。
洪水や津波は、いつも、この手前の田んぼのところを襲いましたが、段丘の上は大丈夫でした。
昨日、地域資料のデジタルアーカイブを収集整理しゆう友人から、「谷稜記」のデジタル画像がある場所をご教示頂きました。谷稜記は、南学者、奥宮正明さんがまとめた宝永地震の記録。1707年の 宝永地震津波の様子が、集落別に、克明に記されちょります。その記載には「亡所」というのが目立ちます。集落ごと、流されてなくなってしまった地域のこ と。昨日の久枝も、その東の下島も下田村も「亡所」で、夜須や岸本は「亡所 潮ハ山マデ」。
そして、上岡を含む野市は、「潮ハ芳原境マデ 家少シ 流ル」。芳原は、この写真右手から海岸に至る地域。その芳原は「亡所」。気になる、ひまわり乳業のある物部地区ですが、「三ケ一亡所」となっちょります。 三分の一が流されたということ。ひまわり乳業の場所は、物部でも一番上流、海抜の高い場所ですきに、宝永クラスやったら、工場が流されるところまではいか んみたいです。まあ、そんな想定は、想定外の津波が来れば用事になりませんので、やっぱし対策を考えていかんといけません。