香宗我部秀通さん墓所、東野土居遺跡、バーガ森北斜面遺跡〔2866〕2011/02/19
2011年2月19日(土)晴れ!
心地の良い朝。ここは会社の東、香南市野市、土居。畠や家の間に、木々に蔽われた森が。こういう場合、お宮さんとか祖先の霊とかを祀っちゅう場合が多いですが、ここもそう。そしてここの場合は史跡にもなっちょります。
戦国時代、土佐は戦国七雄と称される群雄が割拠しちょりました。東の安芸氏と南国の長宗我部氏に挟まれながらも、その由緒と戦略でもって勢力を持っちょったがが香宗我部氏。
香宗我部親秀が当主の時代、嗣子が亡くなったので、弟の香宗我部秀通さんを養子にして跡目にしました。
しかし、長宗我部国親さんがどんどんと強うなってきたので、国親の三男、つまり元親の弟を、香宗我部氏の養子に迎えて同盟関係を築くことを、親秀は考えたのでありました。
もう、すでに妻子をもうけちょった秀通さん、これに抵抗、反対します。そして、実の兄である親秀によって暗殺されました。結局、香宗我部家は元親弟の親泰が継ぎ、香宗我部の血を引く直系ではないなってしもうたがです。
ここは、その、無念の香宗我部秀通さんの墓所。篤く祀ることで、その怒りを和らげようとしたがでしょうか。
ところで、今朝の新聞に、このしゅっと近くにある東野土居遺跡の記事が載っちょりました。弥生末期から古墳時代前期の集落遺跡。昨年10月23日のにっこりでもご紹介しちょります。子供を埋葬した壺が発見され、その中に模様が刻まれたものがあったということで、古墳時代前期にはかなりの身分差ができてきちょったと推測されるがやそうです。そして、この界隈は、物部氏の伝説が濃い地域ですきに、田村から分かれてきた東野土居の集落は、古墳時代には、物部氏の影響を受けた集落やったがかも知れません。
今朝の新聞でもう一つ紹介されちょったバーガ森北斜面遺跡は、ひまわり太郎がこのにっこりで何度かご紹介してきたお気に入りの遺跡ですきに、弥生時代中期の、四国最大規模の高地性集落ということがわかってきた、という記事を読んで、こじゃんと嬉しゅうなりました。また、たつくりに行ってみんといけません。