蔵前興行学園、蔵前国技館と豊ノ島関〔2850〕2011/02/03
2011年2月3日(木)晴れちょります
今日は、業界の寄り合いで日帰り東京。会合が終わって飛行機までの時間を利用して、ここ、蔵前にやってきました。ここは蔵前の、第六天榊神社さん。
ご祭神は榊皇大神で、なんと、景行天皇40年(西暦110年)に、日本武尊が東夷を征伐する際に創建されたとされちょりますきに、由緒ありまくり。西暦110年というたら卑弥呼の前の時代ですきにすごいです。まあ、ホントはもっと後世にしても、古いことには変わりありません。
この場所に遷座してきたがは昭和3年。それまでは、ここに東京高等工業学校、現在の東京工大があって、日本の工業発展を支えちょりました。
この碑は、それを後世に伝える碑。「蔵前工業学園之蹟」と刻まれちょります。
今日は節分で、午後3時から、この境内で豆まきがあったそうです。チラシが貼っちゃありました。
ここは、東京スカイツリーのしゅっと近く。こっからはビルが邪魔になって見えませんが、ちくと横へいくと、巨大なスカイツリーが建ちゆうくが見れます。
蔵前と言えば、思い出すがは蔵前国技館。昔は、大相撲は、蔵前国技館でやりよりました。今の国技館ができたがはいつ頃でしょうか。
今、大相撲はもめちょりますね、八百長とかで。ただ、相撲興行というがは、昔から興行であり、神社などとは深い関わりのある、そして興行性の高いものでありました。ひまわり太郎は、ご承知の通り、相撲が大好きです。一番困るがは、ケシカランとかいうて、相撲が見れんなること。相撲はケシカランので、国技ではなくして、中継もやめたらエイ、とか言うがは、ひまわり太郎は悲しかったりします。メッソ相撲を好きでもない皆さんが、言いゆうとしたら、それはもっと悲しいこと。昔から、色んな歴史があって、色んな雑多で複雑で微妙でシガラミがあって神様と関わりの深い文化でありつづけてきた相撲。もちろん、ずうっと清廉潔白でキレイであり続けてきたはずもありません。現代のこの社会にそぐうた形にしていかんといかんがはよう解りますけんど、一気にケシカランと切り捨ててしまうがは、ちょっと行き過ぎぢゃあないかと思います。普通に、楽しみたいです。我が豊の島関の活躍を、普通に楽しみたいと切望します。