来年には取り壊される植木枝盛さんの住んだ家〔2801〕2010/12/16
2010年12月16日(木)曇っちょります
いやいや、朝はそうでもなかったですけんど、お昼くらいから冷え込み感が強うなってきましたね。山は雪かも知れません。
ここは桜馬場。高知城の西、城西公園の西側の、南北に流れるお堀からちょっと西、越前町方面に入ったところ。
以前にも一度ご紹介したことのある、あの植木枝盛さんの旧邸。「跡」ではなくて、この建物がまさしく植木枝盛さんが様々な文章を執筆した建物なのであります。
藩政期末期か明治初年に建てられたそうで、植木枝盛さんは明治11年からここに住み、書斎を「自由城」と名付けて様々な文章を書きました。筆で闘争した訳です。
ご存じ植木枝盛さんは、自由民権運動の理論的指導者の一人で、代表的論客でもありました。日本の自由民権運動を語るときに絶対欠かせない、こじゃんと重要な人物。明治政府が憲法を策定することになった際、様々なヒトや団体が憲法案を書きましたが、植木枝盛さんの「東洋大日本国国憲案」は素晴らしい思想で書かれちょりまして、現行の昭和憲法の思想に多大な影響を与えちゅうと言われる民主的なもの。その憲法草案だけではなく、様々な特筆すべき文章が、ここで書かれました。その後建て増し建て増しされちゅうとのことなので、書斎がどの部分ながかは外からはわかりません。
いかがでしょうかこの写真。ここは現在個人所有で、この6月まで貸し家になっちょりましたが、その方が出られたので、所有者が取り壊すことに決めたそうです。たしかに古い建物で、なんとかせんといかんのはわかりますが、雰囲気はゆかしいですよね。で、高知市は財政難で、書斎のみ自由民権記念館に移設することが正式に決まったそうです。ですけんど、こっから東へお堀端を行くと寺田寅彦さんの家が記念館として残されちゅように、なんとかこの家も買い取っての保存ができんかったがでしょうかね。財政難といいますが、ようは何を大切に考えるかの優先順位の問題。今、東西軸とかいうて、へんてこりんなモニュメントやらを整備したりする中心商店街活性化案とかが粛々と進みゆうなか、奇跡的に戦災を逃れて明治初年から今まで残されてきた、かの植木枝盛先生の家は粛々と取り壊されます。
未来のヒト達が、街中の観光用につくられたモニュメントがあって良かったと思うのか、植木枝盛先生の書斎付き自宅が保存されちゅうがを良かったと思うのか。我々は未来の高知県人のために、その辺の責任を果たしていく義務を負うちょります。と、ひまわり太郎は思います。