新改の水力発電書のマイナスイオン〔2664〕2010/08/01
2010年8月1日(日)晴れ!あづい!
てな訳で今日は高知。こじゃんと暑い日曜日の高知。ですけんど、まずは昨日のお話の続きをちくと。
あの笹尾山に本陣を置き、決戦前の両軍の布陣を眺めた石田三成さん、何を思うたでしょうか。素人が見ても。こりゃあ、勝利を確信したと思います。ひまわり太郎は戦国武将でもないですし、軍略家でもないですが、この布陣は三成さんが有利な地点に家康と東軍を引っ張りだしてくるがに成功した、と見るべきでしょう。少なくとも西軍にとっては。あの家康本陣の向こうの南宮山には毛利や吉川が、右手の松尾山には小早川が。
つまり、カエサルもハンニバルも、あのアレクサンドロスも得意とした包囲殲滅作戦が、ここに完成しつつあった訳です。
もし、緒戦で西軍が一気に東軍に攻め込んだら、小早川と吉川毛利が敵の退路を断ち、包囲殲滅できたかも知れません。その場合は長宗我部軍も東軍が濃尾平野へ逃げ込むがを阻止する係やったことでしょう。
が、結果はそうなりませんでした。
長宗我部盛親さん、まったく戦闘に参加せんかったがは、あの場所で様子を伺いよったきですね。この本陣からもまったく見えん、南宮山のとっと向こう。もし、あっちへ東軍が逃げてきたら参加しょう、てな感じの場所。毛利軍が動かんことにはどうしようもなかったでしょう。
毛利は、動かんかったことで、徳川政権になっても小さくはされても大名として生き残りました。長宗我部は、動かんかったことでは、また、戦闘と関係なかったことでは毛利以上やったですけんど、滅ぼされてしまいました。家康の戦略が見て取れます。
さて、ここは新改。山田から北へ川沿いに行くと、山の中に突然水力発電所が現れます。その社宅が立ち並ぶ所へ下りて行き、フェンスと家の間の空間を入っていくと、マイナスイオンたっぷりのこの場所にでます。左手の大きなパイプを通って落ちてきて発電した水が、この目の前で轟音をたてて川に流れ込みよります。おおの涼しい。