広島の加藤友三郎さんと平和〔2610〕2010/06/08
2010年6月8日(火)広島は晴れじゃけえ
てな訳で今朝は広島。昨日、汽車でやって来ました。昨夜、広島在住の従兄弟に連れて行って頂いたお料理屋さん、こじゃんと美味しかったです。テーブルの上に準備してくれちょった花瓶に、何やら紫陽花のような、しかしそれにしてはまん丸でちょっと違う、美しい花が。実はそれ、その店のご主人さんが丁寧に丁寧に大根を刻んで花びら一枚一枚からつくりあげた、大根でできた紫陽花やったがです。これは素晴らしかったです。長時間置くと乾燥するということで、途中でメンテナンスの為に引っ込めました。それにしてもすごい手間と技術。こういった心配りが大切ながですね、ホント。感心しつつ、勉強になりました。
で、今朝は平和大通りから広島城界隈をたつくってきました。お城の西側からたつくってみたところ、今まで気付かんかった、なにやら絵本の中に出てきそうなシルクハットの銅像が。近づいて見てみますと、あの加藤友三郎さんの像でした。加藤さん、広島出身やったがですね。
海軍大臣や首相をつとめた方ですが、一番有名ながは、大正10年のワシントン軍縮会議全権として、その軍縮条約を締結まで導いたことです。日露戦争に勝ってから、日本はどんどんと軍事大国への道を突き進みました。明治の軍隊には、世界の趨勢のなかで日本を考える、広い視野を持った人物も居りましたが、どんどんと軍部強行派が勢いを得、マスコミも巻き込んで軍備拡張、覇権主義へと邁進しよりました。威勢の良い意見の方が、まかり通りはじめた訳ですな。そんな中、世界の中野日本の立場を考え、本当の勇気をもって、強硬派を押さえ込んで条約締結まで持ち込んだのはたいしたもんやと思います。
その後、強行派、すなわち艦隊派が勢いを盛り返し、軍縮破棄の戦争へと突入したいきましたね。卑怯やったのは、誰も逆らえない英雄、東郷平八郎さんを強行派が取り込んだこと。老いた英雄には、冷静な判断をする頭脳が残っちゃあせんかったがをエイことに。その後の軍隊は、広い視野で世界を見ることをせず、自己中心的に突き進むことが勇気と勘違いする連中が幅をきかせるようになってしもうたがが日本の悲劇でした。
加藤友三郎さんをあらためて顕彰しよう、ということで平成20年に建立されたこの像。本当の勇気とは何ぞや、ということを教えてくれる像かも知れません。