野市、大谷神社のパンツ一丁〔2535〕2010/03/25
2010年3月25日(木)小雨
会社の東、旧野市町の、三宝山西南麓に、大谷という集落があります。古い古い土地で、戦国の頃には、山田氏の流れを汲む大谷氏が大谷城をかまえちょった大谷。
そこに、幽玄な杉木立に囲まれた森がありまして、立派なお社が鎮座しちょります。大谷神社。天岩戸別命さんを祀る旧村社で、大谷五社大明神とも呼ばれゆうそうですね。「三代実録」貞観十二年(西暦807年)の文書に出てくるという古い由緒あるお宮さん。本殿は、天保7年(1836年)に、戸板島村(こっから物部川へ出た対岸)の中村祐四郎清重さんという大工の棟梁の作品やそうです。なかなか立派。
参道入り口の脇に立てられた案内板には「旧暦六月十四日~十五日夏大祭に行われる古式祭はパンツ一丁五人の裸男が甑で焚いた蒸し飯にみそ田楽を添えた五膳を深夜本殿に供える古くからの祭で町の有形民俗文化財に指定」と書かれちょります。「パンツ一丁」ですか。「下帯ひとつ」とか「褌一丁」とかぢゃあのうて「パンツ一丁」。なにかパンツにこだわりがあるがでしょうかね。昔はたぶんパンツやなかったですろうき、いつの頃からパンツになったがか気になるところ。また、ちょっと見てみたいですよね、パンツ一丁の五人の裸男。
ところで、江戸時代に書かれた「南路志」にも、ここ大谷神社で「むし飯料理」をお供えし、皆で食べた記事がでてきますきに、この界隈では蒸し飯がかなり大切な昔からの料理やったことがわかります。どんな蒸し飯ながでしょうかね。
雨の大谷神社は、杉の高木の森に囲まれた広い境内にあり、厳粛で幽玄な雰囲気が溢れちょりました。左のブルーシートは土俵。ここでもやっぱし奉納相撲が行われゆうがでしょう。子供の部だけぢゃあ無うて、大人の部、地区や会社対抗戦をやってもろうたら、物部川の対岸からではありますが、ひまわり乳業も参加してみたいところです。パンツ一丁は嫌ですけんど。