国宝、豊楽寺薬師堂の想い出〔2521〕2010/03/11
2010年3月11日(木)晴れ!
今朝はシミコオリましたね。車のフロントガラスが久々にカチバリツイちょりました。が、お昼には気温もあがり、いよいよ春本番、という風情の高知県地方。昨日は、高知城の桜も開花宣言しました。今年の花見は早めにせんと、満開の時期もかなり早そうな気配ですな。
さて、今日はお仕事で、四国山脈のど真ん中、大豊町の大田口という所へ行っちょりました。昨日一昨日は雪が降ったにかありません。霊峰梶ヶ森を見上げると、またまたキレイに雪化粧をしちょりました。
大田口へ来ると、やっぱしここへ寄らんといけません。豊楽寺薬師堂。
車で行けば国道からしゅっとです。昔、ひまわり太郎高校生の頃、日曜日とかに大田口まで汽車に乗り、山の中の参道を歩いてここ豊楽寺までビッシリやって来ました。境内で静かに受験勉強する、という建前でしたが、一日、この静かで幽玄で重厚な雰囲気をのんびりと楽しみに来よった訳です。
高知県に現在ある国宝は何々かご存じでしょうか。以前、買う買わんで話題になった古今和歌集の「高野切本」と、日高村の小村神社にある金銅荘環頭太刀と、そしてこの豊楽寺薬師堂。3つしかありません。そのひとつであるこのお堂は、1151年に建てられた四国で一番古い建物やそうです。そもそもこのお寺さん、西暦724年に行基上人が開いたとされる古い古い名刹。全国に行基上人の伝説はありますが、ここの話はホンモノにかありません。
今では「こんな山の中に」と思われるような場所ですけんど、たぶん、当時は四国山脈の中でもかなり人口の多い、そして重要な場所やったがやないでしょうか。こっからは、吉野川の反対側に、霊峰梶ヶ森、昔は加持ヶ森と呼びよった信仰の山が見えます。
高校で日本史を教えてくれた木内先生が、この豊楽寺薬師堂のことを美しく語ってくれました。で、ここへヒットリやって来るがが習慣になっちょった高校生ひまわり太郎。歴史好きになったキッカケは、何と言うたち、木内先生の、歴史を語る熱さやったと思います。
ここへ来て静かで厳粛な空気に触れると、当時のことを思い出すのであります。