物部川土手のトーチカと白菊隊〔2387〕2009/10/28
2009年10月28日(水)晴れ!
今朝も秋晴れ。
昨日、太古の物部川河口をご紹介しましたが、今朝は現在の物部川河口近くの堤防。高知空港を東へ出て、高知高専の南を東へ行った突き当たり。今日は出張で、空港へバスで行く途中、高知大学農学部前で下車して、この界隈をたつくりながら空港にやって来ました。
この土手に、ご覧のオブジェがあることも、メッソ知られちゃあしませんね。昔、ひまわり太郎も偶然に発見しました。これは太平洋戦争末期に使用されたトーチカ。
今はセイタカアワダチソウとかの草に埋もれて、ほとんど目立ちません。大きさもコンマイです。このコンマイトーチカで、米軍、グラマンを迎撃しよったがでしょうか。
ビッシリ書きゆうように、太平洋戦争後半、現在の高知空港の場所に、海軍の飛行場がつくられました。で、「白菊」という2人乗りの練習機が配備されて、通信とかの様々な訓練が行われよったそうです。
ですきに、ここは米軍の攻撃の標的になりました。で、飛行機をグラマンの機銃掃射から守る掩体壕とか、迎撃するトーチカとかがどっしこ造られた訳です。今でも、その一部が残っちゅうがですが、こうやって放置されちょります。
昭和20年3月くらいになると、いよいよ戦況は悪化。神風特攻隊も、最初はゼロ戦に訓練をつんだパイロットが乗り、援護の戦闘機もつけての攻撃やったがですが、末期になると、訓練も十分でない若い兵隊さんが、敵機にみつかったらそれでおしまい、という遅い速度で旋回性能にも劣る練習機に乗って、やらされることになりました。高知の部隊も、白菊隊ということで、沖縄方面の神風特攻隊に組み入れられ、おんぼろ練習機に乗って特攻していきました。誰がそんなことを考えたがでしょうか。
高知空港が、そんな歴史を持っちゅうということを、たぶんほとんどの高知県民が知らんと思います。この草に埋もれたトーチカは、そんな過去を伝えてくれる大切な遺産なのであります。