久礼八幡宮、厄除石を抜けるひまわり太郎のお尻〔2260〕2009/06/23
2009年6月23日(火)晴れたり曇ったり
今日もまた暑かったですな。雨が降る降ると言いながらなかなか降らん高知県地方。今晩は降るがでしょうか。
今日は仕事で中土佐町久礼に行っちょりました。役場での用事の手前に、ここ、八幡宮をお参りしてきたひまわり太郎です。
久礼と言えば八幡さま。ここの大祭はこぢゃんと有名ですよね。この久礼八幡宮は、久礼の漁師さんたちの海の安全を守ってくれる神様。今の社殿は文政8年(1823年)再建のものらしいですが、宝永の南海地震の津波で流されたというこの八幡様の由緒は、かなりの謎に包まれちょります。
久礼は、戦国末期、佐竹氏が支配しちょりました。佐竹氏は最初は一条方につき、その後長宗我部方に味方しちょります。この八幡さまには、佐竹義直さんの花押がある登り龍の剣が宝物として保管されちゅうそうです。佐竹義直さんは久礼城主。佐竹一族は、久礼を中心に安和から上ノ加江を支配しました。義直さんの弟が上ノ加江城主となり、その息子佐竹親直さんが跡を継いで長宗我部元親さんの娘をお嫁さんにしました。そして長宗我部氏に従い続け、1615年の大阪夏の陣迎えたのでありました。親直さんは、あの有名な八尾合戦で戦死、幼い息子忠次郎は伊達家の兵に捕らえられ、その後、有力家老柴田家の養子になって柴田外記と名乗って活躍、伊達騒動で原田甲斐を斬った後、斬り殺されました。このお話、びっしりしちょりますね。しつこいですな。
久礼の佐竹一族の子孫の皆さんが、こないだ5月2日に一堂に会して懇親を深めた、てな話題が高知新聞に載っちょりましたね。佐竹一族の皆さん、仙台の南の柴田町に、上ノ加江佐竹氏の子にして長宗我元親の孫、佐竹忠次郎さん、つまり柴田外記さんの供養塔があるがをご存じでしょうか。ひまわり太郎、2008年1月26日にお参りしてきました。
と、長々と書いてきましたが、写真は、その久礼八幡宮の拝殿の向かって左にある厄除石をくぐろうとしゆうひまわり太郎のお尻。穴の開いた珍しい石は、大正時代にトロッコ軌道工事をしゆう時に発見され、八幡さまへ寄進されたもの。穴を抜けると、何となく気分が晴れ晴れしますね。