はりまや橋、生コン事件の総仕上げ〔2221〕2009/05/15
2009年5月15日(金)晴れ!
ここははりまや橋。正確には、その昔、橋のあった所から東を眺めた写真です。
この右手にはデンテツターミナルビルという、土佐電鉄関連のキレイなビルが建っちょります。ここには昔、それこそ土佐電鉄関係の社屋があり、つい先だって、そこから撮影した写真を高知新聞で見ました。昭和30年代やったと思います。その頃、ここにはどぶ川が流れよりました。こぢゃんと臭う、きたないどぶ川。どうして汚かったかと言えば、ここを流れちょった堀川は江の口川とつながっちょったき。
江の口川は、旭にあった高知パルプという紙会社の凄まじい排水で、なにやらわからんメタンガスみたいなががポコポコを湧き上がってくる真っ黒い川でした。想像を絶する川でしたね。
その川とつながっちょった、ここはりまや橋の下を流れる堀川ももちろん汚く、昭和40年代に、文字通り「臭いものにフタ」ということで川は埋め立てられたのでありました。それ以来、はりまや橋は「橋」では無くなり、欄干だけが残る天下のがっかり名所が誕生しました。
江の口川のあまりの惨状を憂えた有志が、高知パルプの排水溝に生コンを流し込むという強硬手段に出たがが1971年、昭和46年のこと。「生コン事件」で知られる、日本に冠たる行動として、賞賛されるべき「事件」ですね。
その事件も契機となり、元凶、高知パルプの工場は廃止となって、江の口川はどんどんと浄化されました。その生コン事件に連なる係累の方が、今、この場所を堀川に戻し、はりまや橋の下に今一度川を流したい、という思いをシマカに募らせていらっしゃいます。
そう。
ここが埋め立てられてしもうた原因を取り除く契機が「生コン事件」ですきに、その運動の総仕上げが、ここをきれいな川に戻すこと、となれば、壮大なドラマですな。