南与力町に牛乳工場がありました〔2198〕2009/04/22
2009年4月22日(水)晴れ
昨日の日経新聞四国版に、弊社の新戦略のことを詳しゅう書いて頂いちょりました。一言で言えば、商品開発力に販売企画を組み合わせ、ひまわり乳業の得意分野(地域密着、商品開発力)をこぢゃんと活かした積極展開、という感じでしょうか。全然一言やないですけんど。
その流れの中で、ついに、本社を南国工場に統合することにしたのであります。元々、弊社の殆どの機能は南国工場に集中しちゅうがですけんど、今までここ高知市与力町にあった本社機能、営業、販売企画機能も南国に集約し、ここで一気に攻め込んでいこう、てな想いで、全部統合することにしたのであります。
南国に社屋が建ってからの話なんで、まだしゅっとぢゃあないがですが、いよいよそちら向いて動き始めました。
ここは本社の南側。左手の建物が現在の本社社屋で、この左奥に受付、事務所があります。昔、ここは工場でした。ですきに、なかなか複雑なつくりの建物になっちょります。右手の駐車場には、数年前まで社員寮がありました。今は「ひまわりパーキング」という月極の駐車場にしちょります。
ここに最初に工場を作ったがは昭和21年のことらしいですね。昭和40年までは、拡張しながらどうぞりこうぞりここでやりよったがですが、どもならんなって南国に工場を建てました。この高知市の中心部、街中に牛乳工場があった、ということも、今考えたらすごいことです。
煉瓦造りのボイラーを焚き、高い煙突から白い煙をくゆらせながら、ここへ斗缶で運ばれてくる生乳を処理し、瓶詰めを行いよりました。最初の200mlの小さい紙パックは、この工場でつくりました。あの三角パック。大きい平積みのトラックに木箱に入った牛乳を積んで出荷しよった、そんな時代もありました。
高知の街のひとつの歴史ですな。