新堀川、刎ね橋のあった風景〔2185〕2009/04/09
2009年4月9日(木)快晴!
今日も暑いくらいの高知市内。
昨日のにっこりで、このにっこりひまわりも、連続6周年が近いことをお知らせしました。この6年間で、変化した場所、変わらんところ、色々ありますね、というお話をしました。
で、今朝は、この6年でこぢゃんと変わった場所をご紹介しましょう。
ここは、新堀川。江ノ口川からの分岐の場所。この場所から、6年前の5月1日、にっこりをお届けしちょります。ここには東西に小さな橋が架かっちょりまして、「刎ね橋」という名称でした。この、コンクリートが敷かれちゅう部分は川で、その真ん中に赤い大きな水門がございました。
新堀川は、ここから南進して電車通りの下をくぐり、かるぽーとの前で堀川に合流しちょります。堀川が縦堀で、この新堀川が横堀。
アカメという希少な魚、シオマネキなど、最近は生き物のパラダイスになってきよった新堀川。昔、江ノ口川の上流に高知パルプがあった頃はどぶ川で、こぢゃんと汚く臭かった新堀川も、今は美しくもしずかな景色として、住民にはこぢゃんと大切なものになっちょりました。大昔の都市計画の亡霊がまだ残っちょりまして、ここに道路が建設され、このように川は暗渠にされよります。確か、説明では、完全に暗渠にせず、生き物も住めるような空間にする、てな話やったと思いますが、こりゃあ完全に塞いでしまいましたね。ここに川があったことはわからんくらいに。
歴史と文化と、自然とやすらぎと、そんな感覚やセンスを持ち合わせんヒト達が権力を握ると、こんなことになってしまうがですね。取り返しがつかんことを、良かれと思うて平気でしでかしてしまう。一旦立てた計画は、絶対に取り消さない。
この道路をつくった責任者、遂行した功労者のお名前を、記念碑に刻んでこの道路の真ん中に建立したらいかがでしょうか。将来まで、その行為の責任として残すために。