椿さん、奏者社、久米国造、伊豫豆比古命〔2137〕2009/02/20
2009年2月20日(金)曇りぞなもし
てな訳でここは松山。ひまわり乳業松山支店のある松山。愛媛県の松山市です。昨日、車でちんがりやって来ました。
このところ、神社のお話が続きよりますので、今日はここ。やっぱし松山とくれば椿さんでしょう。何度かご紹介したことのある椿神社。これは通称で、正式には「伊豫豆比古命神社」と呼ばれます。
太古の昔、伊豫豆比古命さんと伊豫豆比売命さんが船に乗ってこの地にやって来ました。そこに翁の神様がおりまして、その船のとも綱を取ってそこにあった岩に繋ぎ泊め、迎え入れたそうですね。
その向かえ入れた翁が「潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)」さんという神様で、この地の先住の代表者やったみたいですね。で、そうやって迎え入れた後は、萬お取り次ぎの神様として尊崇されゆうとのこと。写真は、その潮鳴栲綱翁神をお祀りしちゅう「奏者社(そうじゃしゃ)」。椿神社拝殿の左手前に鎮座しちょります。
椿さんに来たら、まず、この奏者社に参拝して、本社参拝する、という習慣が残されちゅうそうです。今朝は逆にしてしまいましたが。
伊豫豆比古命さんは、この界隈の発展に寄与した久米国造の久米氏ゆかりの神様らしいです。つまり、元々、この周辺に有力者が居って、そこに久米氏がやって来て支配者となり、開拓していった、というストーリーが見えてきますね。潮鳴栲綱翁(しおなるたぐつなのおきな)さんの名前は、その時のエピソードがそのまんま名前になっちょりますきに、元々の名前とは違うものでしょう。元々、この界隈の有力者はどんな方やったがでしょうかね。そして、どうやって政権交代が行われたがでしょうかね。たぶん、この松山の郷土史を研究しゆう皆さんはご存じのことでしょうき、一度ご教示願いたいところです。