大阪、お初天神の朝〔2121〕2009/02/04
2009年2月4日(水)今日は晴れてまんがな
てな訳で今日も大阪。アグリフードEXPOはなかなかの人出で、こぢゃんと賑わいよります。なかなか収穫が多そうで良かったです。この会場のトレードセンターは海沿いにあるがですが、この建物から見える桟橋にさんふわらあが停泊しちょって、懐かしかったです。おまん、こんなところにおったがかよ、てな感じ。昔、二十数時間かけて東京へ行ったことを思い出しました。
さて、ここは今朝の露天神社さん。梅田から南へしゅっとのクにあります。今朝は梅田から中の島界隈をたつくりまわってきました。
このお宮さんは、その本名よりも「お初天神」という名前の方が通っちょりますな。と、言うより、大阪の皆さんのとっては「お初天神」以外の名称は思い付かんがやないでしょうか。
とは言え、このお宮さんの由来は古く、地元の産土神として尊崇されてきたにかありません。901年、菅原道真公が太宰府に左遷されて行く際、ここを通りました。境内の草木露ふかければ
露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば
という悲しい詩を詠んだので、このお宮さんは露ノ天神社となったがやそうです。
そして江戸時代、元禄16年。江戸で赤穂浪士の討ち入りがあったしゅっと後ですな。堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋根平野屋の手代「徳兵衛」が、この天神さんの森で情死しました。近松門左衛門さんが「曽根崎心中」という劇として書いて空前の大ヒット。で、ここが大阪の庶民から「お初天神」と呼ばれるようになりました。
道真公の頃の草木の露といい、元禄の頃の天神の森といい、結構鬱蒼としちょった雰囲気があります。今はご覧の通り、大きなビルに周囲を取り囲まれたお宮さん。ですけんど、今朝も大勢の善男善女が参拝に訪れよりました。