三浦半島、浦賀と龍馬さん〔2074〕2008/12/19
2008年12月19日(金)今日も晴れ!
で、今朝の一便に乗って高知へモンてきました。最近飛行機に乗るがが多かったですきに、キャビンアテンダントさんに、「いつもご利用ありがとうございます」などと言われてうろたえてしまいました。柄にもないですな。
羽田を飛び立った飛行機は、東京湾上空を南東に向こうて飛びました。横浜界隈の地形がよくわかって、楽しいです。そして、三浦半島の先っぽで右旋回、相模湾から伊豆半島の根っこを通り、富士山の南を飛んでいきました。高知東京便よりも富士山にグッと近いところを飛びますきに、真っ白い富士山がこぢゃんと美しゅうございました。
写真は、三浦半島の先っぽを右旋回する飛行機から撮影した写真。向こうに白い富士山が見えます。実際は、もっともっと大きゅうにはっきりくっきり見えますね、富士山。写真の技術がないので残念。
この手前に、地図でよく見る三浦半島の形がきれいに写っちょります。右端の、ちくとちょん切れちゅう岬が観音崎で、その左が浦賀。あのペリーさんは、まずはこの界隈に蒸気船4隻でやって来て開国を迫ったのでありました。こうやって上空から見てみても、あの辺りが東京湾の狭くなった入り口で、大事な要衝やったことはよく判ります。
ペリーさんが最初にやって来た時、坂本龍馬さんは丁度剣術修行で江戸に来ちょりまして、18歳の若者。翌年またやって来たときも、江戸に居りました。その時、ペリーさんは、フィルモア大統領の誕生日ということで幕府の制止も聞かず祝砲を撃ちまくりました。1艦21発、6艦で126発。江戸は大騒ぎやったことでしょうが、その音も、龍馬さんは聞いちゅうがですな。